不況の風

日記

不景気の風は、着実に日本を蝕んでいるようだ。

僕の取引先の大企業がポツポツと、リストラに向けて準備を始めている。

昔を知る人は、平成不況の大リストラ時代の再来だと言っていた。

日記的に、書き残しておこうと思う。

稼働率、大幅ダウン

僕は化学メーカーに勤務しているので、お客様もまた、何かしらのメーカーである。

僕の勤務先が作っている化学品をさらに加工して、最終製品にしたり、その一歩手前のパーツに加工したりしている。

今年から始まったコロナ禍で、消費マインドが冷えて末端製品が売れなくなった。

また、イベント系に使用される様々なものが売れなくなった。

例えば、イベントの告知をするチラシやポスターをはじめとして、イベント会場で使って、使い捨てるようなモノたちが使われなくなって、伴ってその関連のメーカー各社が干上がったりしている。

僕の勤務先はというと、前回の日記の通り、製品が多数の業界・分野に分散しているために、致命傷は避けられている。

しかし、化学品のように幅広く分化できないモノを作っているメーカー各社は、稼働率が落ちてしまった。

最終物が売れないのだから、作れないのだ。

大企業はお小遣い配給所

以前、何の本だったか思い出せないのだがこんな一節があった。

もはや日本の大企業は、仕事があるから人を雇うのではなく、賃金という形でお金を分配するという役割のために雇っている。

かつて世界恐慌の時、ケインズは「有効需要」という概念を説いた。

いくらモノを生産しても、買う人がいなかったら売れない。

売れないから、会社の経営が傾いて、失業者が増えて、ますますモノが売れなくなって…という悪循環に陥る。

その流れを止めるには、一般消費者にお金を渡して、消費させることが必要だ。

お金を世の中に循環させることが大切だとケインズは説いて、かの有名なニューディール政策がとられていくのであった。

さて現代日本においては、政府と経団連の連携により、この「お金を配る」システムが実行されていた。

大企業は、実はもう立派に「稼ぐ仕組み」ができているから、そんなに人員は要らない。

しかし社会的な責任として人々を雇用して、お小遣いを配るという形になったのだ。

お小遣いをたくさんもらった高給勤め人たちは、新車やマイホーム、外食や旅行をしたりしてお金を世の中に循環させてくれた。

優良な消費者である。

また株価も上がって、見かけの資産が増えたオジサンたちは気が大きくなって、活発に消費活動をした。

政府と経団連の計画は、順調だった。

それがコロナという感染症によって、打ち砕かれてしまったのだ。

無駄がバレた上、無い袖も振れない

まず感染症対策として、テレワークとなった。

最初は面食らったが、実は問題なく仕事ができたという意見が多い。

また、無駄な会議が減ったとか、無駄な紙の書類が減ったという声もある。

今後は、来客がないため綺麗な高層オフィスビルに入居する必要もなくなるし、社員が出勤する必要もなくなるので、オフィス縮小や移転が相次ぐだろう。

そこでわかったのは、「アレ?意外と回るんだな」だった。

つまりこれまで、オフィスに出社してやっていた「お仕事」は、その大半が実は「ごっこ」だったことがわかってしまったのだった。

反論はいくらでもあると思うが、「実際いらねえよな」と思う作業や書類は多かったのではないだろうか。

特に古くからある、歴史ある企業ほど、何十年も前からやっている風習とか、書類や手続きがあったりする。

それらを一掃してスリム化して、本来あるべき姿にしたのが今回の感染症対策だった。

しかしこれらのお仕事ごっこは、10年前は「ごっこ」ではなかった。

10年前というのはスマホがようやく日本に上陸して、ガラケーを使っている人も大勢いた。

パソコンで地図や時刻表を印刷して持ち歩いていた。

そんな時代だったから、重要な書面は紙で保存していた。

ネットでのコミニュケーションも、Skypeが出てきて、テレビ電話なんてスゴイ画期的だと感動した時期だった。

当時はまだ画質も悪く、カックカクでラグかったのに。

それから10年経って、技術が進歩して、いろいろなことができるようになって、急速にオフィスの役割は変わっていった。

そしてその進歩に、どうやら多くの人は追従ができなかったようだ。

僕のように、若い時分にネット技術に触れていた世代と違って、電話とファックスの時代に育った現在50歳代の人達には、この変化は相当厳しいようだ。

しかし、彼らが怠慢だといっているのではない。

むしろ彼らが若い時分には、Windowsが出てきて、エクセルを習得して、フロッピーディスクでの記録をしてきた世代だ。

彼らはそれらの「新技術」に対応してきた。

そのような技術的ブレイクスルーが2回ほど塗り替えられて、現在に至っている。

50代近くになっても新技術にに対応しきれる人は、かなり少ないだろう。

多くの人は追従しきれず現在を迎えてしまい、かつ労働力再生産のコスト(家族を養うため)が上がってしまっているから、今回のように企業がピンチになって、無い袖は振れない状態になったときに、真っ先にリストラ候補に上がってしまう。

タイムリミットは確実にある

今こうして、僕らはスマホやPCや各種アプリケーションを使いこなしているが、これは僕らが20~30代だからである。

今の50代の人々が30代の時に、Windowsが登場して、エクセルやワードが登場したときには、彼らはちゃんと習得して、追従してきた。

それと同じことで、僕らが50代になる2040年ごろには、今では想像もつかない新技術が生まれて、それを習得・追従するかどうか迫られるだろう。

もっと人体にデバイスを埋め込んでいくことが確立されていたら、50歳の僕は手を出せる自信がない。

若者が脳や眼にデバイスを移植して、快適に仕事している隣で、

キーボードをカタカタ叩いている50歳の僕は、年下の上司に肩叩きされてしまうだろう。

雇われ人を続けていくのにも、実質的にはリミットがあるようだ。

もはや定年まで大の大人を飼っていくことは、どうやら難しいようだ。

社会情勢も変わる。

20年前、2000年ごろの常識といえば、ガラケーがモノクロからカラーになった頃だ。

プレステ2が出るか出ないかの時期だ。

そこからさらに2〜3年経って、カメラ付き携帯やら着メロというものが出てきたのだ。

ハイブリッドカーが普及し始めた頃だった。

20年というのは、それほどの時間の長さだ。

だからこそ、まだ元気に対応できるうちに、「資産」や「自分のビジネス」を作って育てておかなくてはならない、という思いを強くした。

効率化の行き着く場所

来年からは、省力化と人員削減がどんどん推し進められていくだろう。

これまでは、「まあ儲かっているから、いいか」で放置されていた正社員の固定費が厳しくなってくるから、「業績悪化」の大義名分の下に、人員削減が推し進められていく。

僕の予想では、人件費の高い人たちが早期退職で一掃されて、その分の仕事が若手に降ってくる。

そしてそのままでは業務が回らなくなるので、業務の効率化に迫られるだろう。

今までやっていた非効率な風習や手順をバシバシカットしていくことになり、結果として「真の仕事」は最適化されると思う。

それくらいやらないとこれまで積み上げてきた「仕事のための仕事」はなくならない。

「仕事のための仕事」は、まさに「穴を掘って、その穴を埋める」仕事だ。

そういう「仕事ごっこ」をして給料というお小遣いが分配される平和な時代は終わったようだ。

そういう良き消費者がたくさんいた、というのがこれまでの日本だった。

これが必要性から一掃されるとなると、かなり働きやすくなるのではないか。

メンドいことを言ってくるオッチャン達も一掃される。

そうして最適化されて筋肉質になった企業はまた盛り返して、人が増えて…そして20年経った頃に僕は50代になる。

そして最新技術についていけなくなって切られて…となっていくのではないだろうか。

だから暢気なことを言っていないで、タイムリミットは確実にある!と自分に言い聞かせて、対策していく。

コロナ・ステージ2はすぐそこまで来ていると思う2020年11月。

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