翼をもがれた営業マン

日記

僕は化学メーカーの営業マンをしているが、いよいよ4月からテレワークとなった。4月から、というよりも2月、3月中旬ごろから営業の仕事にも変化が起きてきた。その経緯と、今後について考える。

2月:海外渡航の禁止

武漢での感染拡大を心配し、海外への出張が原則禁止となった。また、個人旅行に関してもなるべく控えるように、との指示が下った。旅行のキャンセル代などの補填はどうなるんだ?とか雇われ人達にも疑問がよぎったが、対象者がほぼいなかったこともありナァナァになった。

ご主人様の都合で旅行をキャンセルせざるを得なくなるなんて、もし新婚旅行とか計画していた人がいたらかなり反発するだろうなぁ、やっぱり雇われ人って立場が弱いなぁとしみじみ思った。

この頃はまだ日本には感染者は少なく、普通に出勤していたし、客先にも訪問していた。

3月中旬:面会を控える

3月の初旬には事態が大きく悪化した。

大型クルーズ船からの下船した人々も出てきたり、海外渡航歴のある人たちから感染者が出てきて、日本国内での感染が出始めた。いよいよ国内の出張も大きく制限されて、新幹線や国内線の飛行機利用も制限されるようになった。

「不要不急のアポイントは延期するように」との指示が出始める。特に上場の大企業たちは早期に「面会謝絶」を告知してきていた。

これらの対応を「ビビりすぎw」と笑っていた者もいたが、僕は正しいと思っていた。もちろん、感染を防ぐという意味でも大切だが、何よりも「私たちはこうやって早期に対策していたんですよ」という証拠を、エクスキューズ(言い訳)を、ちゃんと作っていたからだ。さすがは上場企業だと思った。

多方面に意識が配られた、堅い守備の陣形である。

ちなみに僕の勤務先は「茶飲み話程度のアポなら、やめとけよ」程度で、ガチめに用事がある顧客には普通にアポイント入れる人が多かった。僕はそもそもガチめなアポが少なかったのでルノアールの住人と化して執筆活動をしていた。

ていうかこんなふうにマトモな仕事がない(できない)んだから、もうさっさと在宅勤務にしてくれないかなぁ、満員電車に乗るの普通にリスクなんですけど、と思っていた。

しかし、自分勝手に休業もできない。そんな雇われ人というこの身の無力さを噛み締めていた。実にくだらないことだ。でも現職を手放すこと、と感染リスク(当時の)を天秤にかけて、やはり現職をキープした方が得だよなと判断し、従うことにした。もしブラックで、しょうもない勤務先だったらこの辺で「スラム退職届」をしていたと思う。

ログインボーナスもらうためだけに僕は毎日、通勤というリスクに曝されていた。

3月下旬:アポイント不可

志村けんが亡くなって、一気に社会は焦り始めた。在宅勤務する?でもどうやってやんの?という会議をバリバリ3密の条件で行っていたから、やっぱり雇われ人というのは馬鹿馬鹿しい。いや、正確には弊社にいるオッサンたちが残念なだけだ。化学業界は、良くも悪くも古き良き昭和の日本企業がそのままの形で、化石のように息づいている。

昭和がそのまま残っている、ガラパゴス諸島なんだ。

だから、テレワークとか、そういう対策が全然できてないことは致し方ないこととも言えよう(一部の大企業などは除く)。

もうみんなわかっていた。営業マンは顧客との面談が断たれた時点でその仕事の8割を失っていることに。残りの2割は、苦情対応とか必要書類の提供とか、いわゆる「店番」の仕事だけだ。

3月の最終週は、どーすんだどーすんだと毎日オッサンたちが会議しているだけで全然進展がなく、僕も出社はするもののネットサーフィンくらいしかやることがなかった。本当に、無駄な時間だったし、それだけでなくオフィスの環境は余裕で3密条件を満たしていた。

やっぱり雇われ人っていうのは自分の身も堂々と守れないんだなぁと、

許可がなくては出勤の自粛もできないんだなぁと

自分の力のなさを痛感した。なさけない限りだ。

ここで全てを投げ打って「こんな会社にはもう出社したくありません!」とキレて辞めるとか、そういうことができたら痛快だったが、僕はそこまで剛の拳が使えなかった。

なので情けないながらも、会社の方針に従っていた。実にくだらなく、なさけないことだ。

会議に明け暮れるオッサン達にも失望しつつ、一番失望したのは社長にだった。

だってさ…こういう場面で決断ができるのって社長だけじゃないか?

緊急事態に際して、社員の安全を気にかけて出勤停止したりとか、リスクを下げる施策は基本ルールから外れるから、それを決断して「こうしろ!」と言えるのは社長だけだ。

でもそれらの施策を全然取ってない。

工場の生産は止められないにしても、もうこんな状況なら営業部はさっさと在宅勤務にできたのに、それをしなかったこの判断の遅さに、ガッカリした。もしくは、何か僕の預かり知らぬところで出勤停止をできない理由があったのなら、メールでも口頭でもいいから、社員に直接呼びかけるべきだったよ。

「今、出勤停止できないのはこれこれこういう理由です。だから皆さん不安だとは思いますが、対策をして業務に当たって欲しいです。テレワークについては現在協議中です」

と、ひとこと言えば、僕はこんなに失望しなかった。

バックレてるその態度に、激しくガッカリしたよ。

あぁ逃げるんですね、バックレるんですね、と。

普段は害がない社長だからあまり気にしていなかったけど、こういう有事の際に、人柄や「器」が見える。

申し訳ないが今回の件で僕は社長を見限った。

…と、いくらガッカリして見限っても、結局僕はそんな社長に飼われている雇われ人だから文句も言えない。

つくづく、雇われ人というのはくだらない身分で、そんな自分をなさけなく思う。

4月:テレワーク開始

3月の下旬に、とうとう弊社の取引先でも感染者が確認されて、弊社員にも接触があったとのことが発覚した。こうなると謎に動きが早く、4月から在宅勤務することになった。とはいえ、会社貸与のPCもなく、自宅PCから会社システムに入る体勢も整っていなかった。

幸い、会社支給のスマホでメール機能だけは使えたから、電話と組み合わせれば在宅勤務は可能だった。それでもエクセルやワードを使わなくてはならない仕事もたまにあるから、必要がある人は適当な時間に出社して作業して良いとのことになった。

先ほど、仕事の8割が失われたと述べた。残りの2割の店番的な仕事はこのようにして対処できた。

つまりテレワークは十分に可能であることが証明されたのである。

営業マンは不要なのか?

さて、ここで一つの疑問が浮かぶ。こうしてテレワークできて、しかもヒマなら、営業部の人員はこんなに要らないのではないか?という疑問だ。

そう、「店番」的な仕事をするだけならば、人員は結構減らせそうだ。3人分を1人でやるくらいでちょうど良いのではないだろうか。そうすれば適度に忙しく、適度に余剰がある状態になるだろう。

しかし僕が思うに、テレワークつまり「面談」がないと新規開拓や新規案件はできない。

テレワークで処理できるのは、いわゆる店番と渉外の仕事だけだ。売り子や大使、宣教師といったスタイルの営業活動はできない。特に新規開拓に関わる売り子と宣教師ができないとなると、企業は徐々に収益を失っていく。新規開拓は、未来の経営のために、常に必要なのだ。

いかに商品力とその依存性が強い化学品でも、いつかは末端の製品が時代遅れになったり、規制物質になったりして、売れなくなる日が来る。そのスパンが30年とかすごく長いから油断してしまうのであって、やはり絶えず新規開拓や新規案件を獲得し続けなくては会社は存続できないのだ。

確かに現状では感染リスクから、お客様と面談することは難しい。お互いに怖い。

今、僕らにできることは活動自粛して感染拡大を鈍らせて、集団免疫なりワクチンが確立されるのを待つことくらいしかできない。

しかし営業マンの価値を今一度冷静に考えた時、わかったのは、やはり僕らは新規開拓をするために存在しているということだ。

「面談」という大きな仕事を失ってしまったが、新規開拓というミッションは消えない。直接的な面談がなければ、新規開拓することは難しい。面談は、相互に交換する情報量がかなり多く、メールや電話では到底、代替できない。また「信用」を獲得するという点で大きな意味を持つからだ。この辺は「被購買力」に関わる部分だから、次回作のメインテーマになる。

ちょっと休んだけど、また電子書籍を執筆しなきゃと思い始めた。

「被購買力」の次に書きたいテーマがある。しかしまず「被購買力」の執筆を終わらせないとダメだと僕の中でブレーキがかかってる。ハイ…その通りです。やっていきます。

参考記事:営業タイプ5分類

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