でも・けど・だって

ライフハック

20年前の言葉

でも・けど・だって。

指揮官が使う言葉ではありませんね

(画像引用 まったりゲーム脳 様
これはファイナルファンタジー8において、シド学園長が主人公のスコールに言ったセリフだ。スコールは急に指揮官に抜擢され、慣れない中で様々な問題にぶち当たり戸惑っている中で、任命したシド学園長にこのセリフを言われる。直後、スコール君はキレて壁に右ストレートを放つ。それでも腐らずにスコール君は頑張っていくのだが、僕はこのセリフを20年経った今でも忘れていない。(FF8発売日 1999/2/11)。

言葉が持つニュアンス

「でも、けど、だって」は文法的には逆接を示す単語だ。「しかし」や「だが」と同じ文法上の意味を持つ。文語と口語という違いもあるが、意味としては同じだ。その中であっても「でも、けど、だって」にはニュアンスが宿っている。なんというか、ジメジメした、後ろ向きな、ネガティブなニュアンスで、かつ「幼さ」を内包している。
幼さとは「自分の責任ではない」「自分は悪くない」というニュアンスを指す。僕は自分を振り返ってみて、「でも、けど、だって」が出てくる場面を思い出したり、注目してみた。すると自分は悪くない、周りのせいだ、だから仕方ないんだ、どうしようもないんだ…という気持ちを内包していると、この単語が出てくる事に気がついた。

言霊(ことだま)

言霊とは、言葉が持つ力の事であり、口に出した言葉が人間の精神を誘導すると考えられている。同じ内容の言葉であっても、「1万円もある」と「1万円しかない」のニュアンスの違いは大きい。ここでネガティブなほうを選択する癖がついていると、思考と行動がネガティブ寄りに徐々に変化していってしまう。ある日突然、変わることはない。日々の生活の中で、思考の中で、徐々に傾いていく。思考の一つ一つがその人の性格を形作るのだ。
そこにおいてこの「でも、けど、だって」は危険な単語だと僕は感じている。

人生の指揮官は自分

なぜ「でも、けど、だって」がよくないのか。それは自分の人生に責任を持つという基本姿勢を失ってしまうからだ。先述のように「でも、けど、だって」にはた関思考の幼さが内包されている。自分でコントロールできる余地は全くない、だから仕方ないじゃんという気持ちが潜んでいる。これを日常的に使い、思考するようになると他責思考が染み付いてしまう。これは自分の人生に対して責任を持つという姿勢を失わせてしまう
自分の人生の責任者、つまり指揮官は自分以外にいない。誰かに決めてもらうということは、ない。なぜなら自分以外の人間は、たとえ肉親であっても責任は取れない。取りようがない。アドバイスを聞くことはあるだろう。だが最終的に決定するのは自分だ。自分の手足を動かす決定は、自分にしかない。

ガマンする訓練

このように「でも、けど、だって」に宿る言霊と、自分のマインドの変化について述べたが、具体的にはどうすればよいのか。それはシンプルにガマンすることだ。
「なぜ~~しなかったのか」と聞かれて、反射的に「だって仕事が忙しかったから」と反射的に答えてしまうところ、その冒頭の「だって」をガマンする。ひたすらにガマンする。この「だって」は反射的に、つい出てしまうものだ。これが喉まで上がってきたら「だっ..」で止める練習をしよう。
僕も、長い時間をかけて、当然何度も失敗しながら、この「だって」を封じ込める事ができるようになってきた。「だって」の代わりに「…そうですね。それは私の怠慢でした。改善策として…」というような思考方法になってきた。
言霊は確実に宿っている。自分の言葉は、必ず自分も聞く。自分の考えを作り上げるのは、普段自分が聞いている言葉だ。「でも、けど、だって」の禁止をすると、思考から幼さが消えて自責思考になっていくはずだ。

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