カレイジャス・アドベンチャラー(勇気ある冒険者)

日記

mont-bell(モンベル)の季節誌「OUTWARD」No.84において、山極 壽一(やまぎわ じゅいち)さんのインタビューが掲載されていた。山極さんは京都大学総長で、類人猿研究のエキスパート。誌面の一部を引用しつつ、要約する。

なぜ人類は危険な登山など、冒険をするのか?冒険のモチベーションはどこから来るのか?

アメリカのミシガン大学の心理学の先生によれば、全人口の0.3%が突然変異を起こし、冒険するのだそうだ。そうした突然変異した個体が限界を突破して、人類は進歩して、快適な暮らしを手に入れてきた。では、類人猿(ゴリラ・チンパンジー)は冒険をするのか?という問いがなされる。

山極先生の意見はこうだ。

ゴリラも絶対冒険はしませんね。700万年前に類人猿と枝分かれした人類が、180万年前にアフリカ大陸の外へ移動するとき、広大な草原を越えていかなければなりませんでした。しかしゴリラやチンパンジーは、自分たちの住むジャングルから一歩も出られていません。そこが人間との決定的な違いなんですね。

確かに、住みなれた環境から離れるのは尋常な行動ではない。基本的に生物にはホメオスタシス(恒常性)がはたらくから、特に問題がない環境であれば、わざわざそこから出ていく必要はないし、そこから出ることは尋常ではないエネルギーを使う。

さらに山極先生は続ける。

では、冒険する人たちが持つ能力とはどのようなものだったのか。それは何ヶ月も未知の土地へ出かけて行って、また元の場所へ帰ってこられるという能力です。その人は英雄として迎えられ、その経験が周りの者に伝わり、新たな知恵として蓄積されていく。それが好奇心や挑戦のモチベーションとして現在まで醸成されたのです。僕も毎年、植村辰巳冒険賞の審査員をしていますが、いい意味で「とんでもない」挑戦をする人は、日本人を含めてたくさんいるものだと思います。

直近の『キングダム』でも求道者がヒトの限界を超えんと挑戦している、という話があった。

「人類」という大きなくくりでの困難の達成ーーーエベレストの登頂や、深海、宇宙への挑戦。確かにそのような行為はとても危険で、命を落とす人も多い。通常の価値観を持つ個体、それこそ99.7%の人類には挑戦できないことだ。確かに、人類史を振り返ると、たった一人の天才が、歴史を作ってきた。偉大な発明をしてきた。強大な国を作ってきた。この0.3%の突然変異が、奇人変人と呼ばれながらも人類を進歩させてきたことは合点がいく。

危険を承知で挑戦する者がいる。そして乗り越えた者がその知見を共有することで、人類はここまでたどり着いた。このことは疑いようがない。そしてこれから先も、0.3%の突然変異の人が、新たな発見をして、歴史を作っていくのだろう。

山極先生のいうように、僕らを類人猿と分かつものは、この特性だ。そしてこの特性は、なにも偉大なものだけではなく、一人一人に、いろんな形で備わっていると僕は思う。どこか1箇所だけでも、自分の中の突然変異を見つけてみよう。何かに異様な執着を見せる瞬間が、きっとある。

僕はエベレストに興味はないが、異様な関心を持つことがいくつかある。それらは夢中になって追いかけることができる。まさに寝食を忘れて取り組めること。恥ずかしいのでまだ公開しないが、僕は学生の頃、それにハマって気がついたら深夜3時になったりしていた。気がついたら受験勉強をサボって、それに1日没頭していたことを思い出す。反省はしたが、後悔はしていなかった。

そして大学時代を適当に過ごして、いざ就職すると気がつく。自由な時間がないことに。学生という時期は、好きなことに時間と、若い体力を全てつぎ込める、貴重なボーナスタイムだと、後から気がついた。

そして会社員となることで、自由な時間などないと調教され、納得し始めていたところに、聖帝サウザー師匠と出会い、自分にも「青雲の志」があったことを思い出した。そう、「労働」以外で生活費を稼げれば、自分の時間を買い戻すことができるのだ。

自分の時間を買い戻せたら、何がしたいのか。思わず早起きしてしまって、それが全然苦でないこと。深夜まで打ち込んでも、全然疲れないこと。夢中になってしまい、時間が経つのを忘れてしまうこと。そういうことを楽しみながら打ち込むことで、その人ならではの感性と切り口で「限界」を超えていけるのだと思う。それは絵画かもしれないし、ゴルフかもしれない。そうして「限界」を超えて帰ってきた冒険者の知見が、また新たな冒険者へと受け継がれていくのだろう。

自分にとっての冒険を見つける作業も必要だと思う。それは自分の無意識な関心にこそ隠れていると僕はにらんでいる。そのことについても今後、まとめていこうと思う。

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