化学メーカー営業マン日誌(2021初冬)

日記

化学業界は今、変化を迎えようとしている。
いや、ここまでくると化学業界だけではない。
世界規模で、事業の在り方、もっと大袈裟に言えば人類の在り方が問われる段階に入った。

脱炭素という言葉

脱炭素という言葉はここ数年で一気に存在感を強めた。

「温室効果ガスであるCO2を減らしましょう」というお題目は1997年の京都議定書から始まるが、なんやかんやで人々は経済成長を優先ばかりして、真剣に取り組んでこなかったように思う。

もちろんCO2削減のため技術の改良など頑張ってきた人は世界中にいると思うが、我々のような一般市民の間にも広まってきたのはここ数年のことである。

電気自動車やハイブリッドカーがCO2削減に良いとは言っても、ガソリン車の方が安価なのでついつい安い方を選んでしまう。

それが僕も含め、一般消費者の性向であろう。

また、天然物由来の材料を用いた環境にやさしいとされる商品も多数、世に送り出されたが、性能がイマイチな上に高いということも相まって、全然売れずに廃番になっていった。

そのためいかに環境に配慮した製品づくりをメーカーやサプライヤーが推奨しても、性能とコストの面で一般消費者は選んでこなかったのである。

異論の余地ない大正義

しかしながら2015年のパリ協定を経て国際社会においては

「オメーら全然できてねーじゃねーか!

泣いても笑っても2030年には半減は必達だかんな!」

と一喝されて、各国はいそいそと脱炭素の取り組みに本腰を入れ始めた。

というのも、近年頻発する世界中の異常気象に対して、さすがに何も対策しない・協力しないというのは国際社会において厳しい目で見られることになったからだ。

「地球」という、宇宙船に乗っている乗組員として、その大切な宇宙船を壊さないように協力しようという主張が、いよいよ存在感を増してきたのである。

とはいえ脱炭素には様々な意見もある。

氷河期の合間の気温上昇だとする説や、CO2排出を削減しても変わらない等の説もある。

しかしながら、石化燃料を燃やすことによって生じる大気汚染や健康被害は相関もあることから、お題目としては十分なのだ。

そしてCO2削減の効果の是非はともかくとして、各国首脳がCO2を敵として一致団結した以上、その地球連合の方針に逆らうことは国際社会において反対勢力であると看做されても仕方のない状況になってしまった。

石化燃料をこれからガンガン使いたかった途上国は文句を言いたいところであろうが「人類の存続」というこの上ない大義を掲げられてしまっては、強硬に反対することもできない。

こうして脱炭素は人類の選択として採用された。

つまり石化燃料をどんどん採掘して、燃やして発電するということはゆるされない事となった。

2019年以前との決別

2019年以前は「アメリカのシェールオイルをなんとか不採算にして潰してやろう」という産油国の思惑と暗闘があり、原油価格は50ドル/バレルで推移していた。

50ドルを超えないと、シェールオイルは十分に儲からず、採算が取れないのである。

この原油価格を下げるために、ジャブジャブに採掘・生産してモノ余りの状態を作り出していた。
この恩恵を受けて、化学メーカーは原油からくる素原料を安く買えていた。

そして2020年に突入しコロナ禍によって需要が大幅減した結果、石化製品はジャブジャブに余ってしまった。

叩き売り状態になりかつて類を見ないほど安価になった。原油価格も20ドルまで落ちた。

この暴落によって産油国も化学業界も「供給(生産)を絞らないとアカン」となり、一斉に減産へ向かった。

そこにきて世界中で需要が復活したため、今度は一転してモノが足りなくなった。

タイミング悪く2021年3月にはアメリカで寒波があったり、いきなりアクセル全開にした化学プラントが相次いで故障して供給がストップ。

またもや石油・化学品の価格は世界中で暴騰した。

この動きの中で、石油や化学品は急激な下がりと上がりを経験した。

それは付加価値によるものではなくて、単に需給バランスによるものであった。

「買い負ける」という概念

そこでハッキリした。

石油化学原料なしでは人々の生活は成り立たないということに。

これまではジャブジャブに余っていたから、その恩恵に気が付かなかったが、様々な物品は、石油化学の原料がなくては作れない状態になっているのである。

今回の需給バランスの崩れによって、これらの原料価格は高騰したが、やはり必須の材料であるから需要は衰えなかった。

そのため、確保をするためにむしろ上乗せでオークションを制する企業すら出てきた。
当然、メーカー側は高く買ってくれる企業に売る。

買い叩いてくる企業にわざわざ安く売る必要性がない。

つまり誰でも安価に買える状態ではなくなったのだ。

希少になったのだ。

このことをいち早く理解して、高額でも原材料を確保した企業は、生産と供給を継続できる。

もちろん収支は悪化するが、生産を継続できる。

原材料が買えない企業は生産ができなくなる。結果、売り上げはなくなり、潰れるのみだ。

これを「買い負ける」という。

こうして買い負けた企業が潰れ切った後に、生き残った企業は価格を上げて、採算性を回復する。

結局のところ、安売りを得意とする企業が居たから上げられなかっただけなのである。

今、世の中を見渡せば、かなりの余剰在庫があるかと思う。

売れ残るということは、需要がないということだ。

安くないと売れないというのは、安さしか取り柄がないからだ。

「悪貨は良貨を駆逐する」とはまさにこのことで、安売りの企業が増えすぎた歪な市場は今、原材料不足と高騰という波によって一掃されるであろう。

囚人のジレンマ:安売りで抜け駆け?

囚人のジレンマとはゲーム理論で有名な話であるが、市場経済においても全く同じだ。

良好な成長をしている業界があって、そこに安売りで参入することによってシェアを奪い、それで儲けようとする企業が相次いで、安売り競争に突入した。

抜け駆けしようとする人や企業はいつの時代も居るものだし、そしてそういう企業から、自分だけは安く買いたいと願う消費者も居る。

まさに囚人のジレンマで、資本主義である限り根本的な解決策はないだろう。

そして人件費も同じく、「安くても働きます」とまず自分の雇用を確保しようとする労働者が増えすぎたために、雇う側の買い手市場となって平均年収は下がった。

それがある意味で行き着くところまで行ったのが、2019年の日本なのだと思う。

そして2020年にコロナ禍になり、2021年に原材料の不足を経験した人類は2022年以降、今度は脱炭素と向き合わなくてはならない。

そこでは先述の通り、電力や原材料の供給は絞られ、全てのものが希少になっていく。

こうなっていく世界に対して、2019年以前のような態度でいる企業や消費者には、モノは手に入らないことは、ここまで読んでくださったあなたにはわかってもらえると思う。

残念ながら、もう元には戻らないのだ。

意識を切り替えなくてはならないタイミングはもう来ている。

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