僕は毎日会社に通って、営業の仕事をしている。
「営業」とは言っても、化学メーカーの営業職は、いわゆる
「買ってください!」な営業スタイルではない。
大昔からあるお取引先に、原料となる化学品を滞りなく納入するための各種対応を行っている。
そのため、このコロナ禍の中にあっても、昨年までとあまり仕事内容が変わっていない。
ゆるふわホワイトではあるが、嫌なこと、腹が立つこともある。
それらを忘れないために、日記を残しておこうと思う。
コロナと出勤体制
まず、この2020年11〜12月は、東京の新型コロナの感染者数が500人突破する日が頻発。
徐々に身の回り、取引先に感染した人が出始めた。
しかも特に危ない行動(夜の街とか)がない人が感染している。
このように市中感染が拡大する中、お取引先の大企業はテレワークを推奨している。
その一方で、中小企業である僕の勤務先は特に有効な対策を講じていない。
春頃の緊急事態宣言下ではさすがに在宅ワークしたが、8月のお盆明けからはなんか自然に通常稼働に戻ってしまった。
そしてオフィスに毎日出社しているのだが…顧客訪問もできないわ、代理店と打ち合わせもできないわで(会社方針で面会謝絶)営業部員達はオフィスで毎日ヒマしている。
そして定時で帰るという非常に意味のない出社を繰り返している。
「店番」は健在
僕はこれまでの発信活動の中で、ずっと化学メーカーの営業職を推奨してきた。
- 営業マンだけど数字に追われないこと
- 毎月勝手に売れること
- 給与水準が平均やや上であること
- 知識経験が蓄積して長く使えること
商材の性質が、毎月勝手に売れるから、そもそもやることが少なくて、ラク。
それなのに給与はいっぱし(30歳で500万くらい)に支払われる会社が多い、ということで推奨してきた。
では営業マンは要らなくないか?という指摘が入るのだが、化学メーカーは有事の際の頭数が必要なので、御家人を子飼にしておく必要がある。
そしてその御家人達はもう50〜60代なので若い人なら入りやすいということで、特にブラック企業で苦しんでいる人達にはお勧めの業界なのである。
先ほど、化学メーカーの営業マンは売り込みはしないと述べた。
その代わり、日々お取引先様から
- 在庫、いまいくつありますか?
- 納期を早めることはできないか?
- この製品の資料くれ
- この製品にこの化学物質が含有されているか調査してくれ
- この製品はヨーロッパに輸出できるか?
などなど、毎日、そのような問い合わせが来る。
それに対応していくことを僕は「店番」と呼ぶ。
また、社外からだけではなく、社内からも、
- 次回製造いつやる?
- 原料の切替提案
- 問題が発生し、お客様に謝罪
- 規格外品ができちゃった
- 法令が変わったのでその対応
などなど、社内からも営業に対して要請がたくさんくる。
それをお客様に打診して、対応を折衝していく。
そういう意味で、化学メーカーの営業マンは「渉外」の役割も担っている。
これらの「店番」と「渉外」を社長自らが毎日対応していたらキリがないから、僕ら営業マンがその名代として対応している。
毎日毎日、そのような露払い的な対応業務にあたっている。
そのため、ひとまずは営業マン要らないじゃん、とはならない。
雇われ人は自己決定できない
僕はこうして毎日、露払いのために出社しているのだが、ぶっちゃけこれらは在宅でもできる仕事だ。
ではなぜこのコロナ蔓延の中、都内に出社しているのかといえば…
ただただ、1人1台のノートパソコンや、外部から入れるシステムが構築されていないからなのだ。
スマホだけで業務を完結させることは難しい。
社内システムにアクセスしなければ、在庫状態や各種証明書を引っ張り出すことはできない。
ここさえクリアできたら在宅ワーク可能となるのに、それができない。
自前PCでの作業に関しては「コンピュータウイルスの侵入を防げる確証がないため」とのことで、許されない。
そうなるとやはり1人1台の会社ノートPCの貸与がなければ実現できないということになる。
ノートPCの確保が必要になるが、ここをケチっているのか、在宅がイヤな層が「まだ様子見」と主張しているので話は進んでいない。
在宅が嫌な層、というのは会議大好き、メール読めない系のオッチャンというかおじいちゃん達である。
こういうおじいちゃん達が引退しなければ、この管理体制は変わらないだろう。
最後の希望はそれらのおじいちゃんを押さえつけることができる社長のみだが、社長も嵐が過ぎるのを待っている系なので、これまた進展はない。
というか社長もおじいちゃんである。
とはいえ、そんなおじいちゃん達にも主張があると思うし、会社にもノートPCの費用や、システム構築の費用が掛かるからすぐにテレワーク体制に移行できないというのも、わかる。
不満だが、わかる。
だからこそ思う。
やっぱり雇われ人って、くだらないなと。
思い返せば
台風のときも、
大雪のときも、
無理しながら会社行ったっけ。
そして今すぐにやらないとマズイみたいな緊急の仕事は全然なくて、
「なんだよ無理して出社する必要なかったじゃん」
ということもたくさんあった。
それでも雇われている立場では、出社をしなくてはならないのだ。
それが雇われ人の本質だから。
働き方に対する自己決定権が、ないのだ。
労働力や時間を切り売りするという契約をしているから。
このくだらない状況をなんとかするには、雇われ人という枠組みの中で粘ってもダメだ。
これは雇われ人という仕組みの中にいる限り、改善不能な問題なのである。
バカの下で働きたくない
僕は2016年夏、上司に理不尽に怒られ、ドトールにて日記をガリガリ書いていた。
そこには大きく
「バカの下で働きたくない」
と書かれていた。
この時の怒りは、今なお古傷のように疼く。
当時の怒りは相当なもので、カッとなって転職も意識した。
しかし、冷静になって仕事のユルさと年収を考えると、この化学メーカー営業職というのは、つくづく効率の良い狩場だな、と思い転職をやめたのだった。
その頃から、僕は会社とか出世に輝きを見出せなくなって、副業とか副収入とかを調べ始めた。
その延長線上に、今このブログがある。
怒りを原動力に
先述の、僕が激怒した事件は、もう3年半くらい前のことだ。
湧き上がるマグマの如き怒りは冷えて固まって、巨大な化石となった。
その化石は、僕の心のよく見える場所に鎮座している。
その化石を思い出すたびに、僕は初心を思い出せる。
バカの下で働きたくない。
職場で理不尽な目に遭うたびに、巨大な化石が一瞬、脈動する。
バカの下で働きたくない。
どんな綺麗事も、この本音には敵わない。
経済的独立とか、自分の事業を立ち上げたいとか、社会貢献したいとか。
そうじゃなくてひたすらにバカの下で働きたくない。
シンプルにこれだけなんだ。
※「バカ」というのは僕のモノサシで測った場合の蔑称である。絶対的な評価基準があるわけではなく、あくまで僕のフィーリング次第で決まる、極めてあいまいな基準となる。言い方を変えると「気が合わない人の下で働きたくない」となる。
こうして日々、憤りや怒りを感じる理不尽な出来事に遭遇する。
大小様々だが、その度に「雇われ人、辞めてえ…」と思っている。
先述の化石が、ドクンと脈打つ。
この想い、この感覚、この怒りを僕はごまかさない。あきらめない。
この激怒の力を、雇われ人卒業への原動力に換える。
聖帝師匠もWebセミナー(2020.9.5:第4回)で言っていた。
「ゆるふわホワイト企業の時は、仕事はキツくなかった。
けど、勤め人マインドの人達の中から逃げ出したくてしかたなかった。
早くこの環境から出たいと思って、ボロ戸建てのリフォーム頑張った」
これですよ。
僕もゆるふわホワイトに勤務して、効率の良い時給を得ては、いる。
だがそれは本質的には時間の切り売りに過ぎない。
そして、聖帝と同じように、とにかくもう周りにいるオッチャン達がウザすぎてしょうがない。
この気持ちの噴出が
「バカの下で働きたくない」
に顕れているし、今なおその気持ちは化石となって、定期的にその誓いを思い出させてくれている。
怒りという感情は、日々の時の流れで融解して、水に流れていく。
いわゆる「忘れる」というやつだ。
そうでないと、人はストレスでおかしくなってしまうから、忘れる。
しかしながら、単なる怒りを超えて「激怒」の域に至った事柄は、その鮮度は失いながらも化石となって心に残り続ける。
浮気された奥さんが、ひとまず許しても、死ぬまで忘れないのは、この化石になった状態だからだろう。
僕が2016年に感じた激怒の感情も、化石となった。
その化石の執念によって雇われ人脱却の探索は続き、ついに2018年に聖帝師匠を捉えたのだ。
もしあの時の怒りが水に流されるようだったら、僕はその後、雇われ人卒業に関しての探索と研究をすることなく、したがって聖帝師匠に出会うこともなかっただろう。
ブログをサボりたくなるときもある。
電子書籍の執筆が進まないときもある。
そんなときは、この怒りを思い出す。
あの時の激怒の化石を眺めて、
あの時の怒りの炎を再び胸に燃やす。
バカの下で働きたくない。
すると、行動に移ることができる。
聖帝補助輪がなくなった
僕は最近思う。
2018年から2019年までは、副業へ向かう原動力を聖帝師匠から分けてもらっていたんだと。
聖帝ラジオの毎日更新、ブログの復活、ツイッターでの勤め人ぶった斬りツイートなどなど、聖帝師匠による外部からの補助輪を受けて、僕は活動していた。
2020年も、定期的なWebセミナーで、活を入れていただいていた。
しかし、聖帝がラーメン屋に専念するために発信が少なくなって、その補助輪がなくなってしまった。
そしてその補助輪が外れたときに、僕は少し緩んだ。
しかしこの度、この怒りの感情を原動力にすることで自走ができるようになりつつある。
聖帝師匠だって、いつまでも補助輪というか、カンフル剤を打ってくれるわけではない。
外部からのカンフル剤ではなく、内部でエネルギーを自製する。
持続可能なエネルギーが必要だ。
それが、怒りの化石なのである。
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