勤め人の瘴気

※当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
日記

ゴールデンウィークからこの2ヶ月ほど、親戚、大学時代の友達、同僚、取引先の人々と交遊して色んな話を聞いた。

達観して淡々とやってるのもいるし、悟って省エネ路線をやってる人もいたし、テンプレ通りに頑張ってる人もいた。

彼らは聖帝サウザー流は知らない、ナチュラルな勤め人だと思う。

亜流で極めつつある人

まずは亜流で極めつつある人から。

彼は既に高給勤め人である。

一部上場企業で業界トップクラスの勤務先に新卒入社、かつ海外赴任経験もある彼は、30代半ばにして既に年収1,000万を越えている。

しかし、さらなるキャリアアップを目指しており転職を検討中だ。

海外赴任で決裁権が与えられ自由に働く形態が気に入っていた彼にとっては、帰国してからのザ・日本企業(いわゆるJTC)は居心地が悪いようである。

彼は独身で消費性向も低めなので、カネには全然困っていない。

実際、「カネの問題ではない」と言っていた。

彼が求めているのは裁量権が与えられての海外関連のお仕事。

しかしそこに起業・独立という概念はないようだ。

あくまでも企業に所属して、ゆるく働く。

土日は休むし有給を積極的に使い割とカジュアルに3連休、さらに長期休暇も取る。

そして海外向け仕事がしたいので、海外ビジネスをしている企業に所属して活動する。

企業に所属することにより個人としてはリスクを負わず、出張経費は会社持ち、という形でビジネスをしたいという。

こう書くといいとこ取りで、男らしくない奴だなぁと思うかもしれない。

しかし、これは優れた戦略…いや、むしろひとつの完成形ではないだろうか。

この仕事は勤め人としては非常に参入障壁の高い仕事だからである。

多くの勤め人は海外赴任、海外相手の営業に苦手意識がある。私もそうだ。

経験がないことだし、言語の壁を感じる人も多い。

そのような環境だから、海外経験がある、海外行けますよという人材はまず少数派になり、この時点で競争力が高い。

もちろん一流企業にはそういう人、むしろ帰国子女がゴロゴロいるので何のアドバンテージもないよ、むしろ普通だよ、スタートラインだよ、という環境もあると思うが、それはトップオブトップであり、また別の領域の話であろう。

そこで先述の彼は、海外赴任のキャリアと、新卒から10年以上、一流企業に勤務したという実績がある。

その上でさらなるキャリアアップを目指している。

転職で年収を上げるつもりだという。

この価値観は、古き勤め人の価値観における「出世」とはまた異なる考え方だ。

彼は現職の組織の中で上に登ろうとは思っていない。

「年収」「裁量権」というモノサシをもって、上を目指している。

「会社」という枠の中での上ではなくて、「勤め人」というカテゴリーのピラミッドの上を目指していくという考え方だ。

肩書きや組織の中での立場などは気にしない、平成後期〜令和らしい価値観である。

「休めなくなるじゃないか」

そんな彼に「独立や起業は検討しないのか?」と水を向けたところ

「独立なんてしてしまったら休めなくなってしまうではないか」

と即答した。

なるほど確かにその通りだ。

その考え方はなかった。

確かに労働者という立場だからこそ、労基法に守られ、休暇を取っても良いのである。

その穴をカバーしてくれるスタッフも会社が用意してくれるし、限られた時間の中で労務を提供するにとどまるという労働者という立場は、そう考えると「休める」。

聖帝サウザー師匠は、

「男子の幸せとはカネと時間の自由である。あとオンナ(良い嫁)」

と定義した。

その達成のためには勤め人をしていては難しい。

そのため自分の商品を作り、それを売って生計を立てよ、自分の時間の切り売りではだめだ、と説いた。

それは必然的に独立起業の形となるか、ゆるい勤め人+α(副業)という形態になるかと思う。

しかし私の友人の場合には、

  • 一千万円台の年収
  • 労働者の権利(所定労働時間&リスク負わない)
  • 裁量権(時間の自由)

これらが、勤め人の立場にありながら達成できる。

ポイントは海外担当という点で、裁量権が多いのと、管理職カウントとなるためマネージメント中心、仕組みづくりが業務となるようだ。

いわゆる「ブルシットジョブ」は無し、在宅ワークOK、休みも自由、有給全消化OKむしろ取れ、という働き方だ。

究極の勤め人の姿が体現されていると思う。

これは聖帝サウザー流(自分の商品作って独立起業する)とは異なり、亜流ではあるがカネと時間の自由を高いレベルで達成できる生き方だ。

ちなみにオンナも、一流企業の看板に釣られるため困らないらしく、遊び散らかしている。

これなら確かに、独立起業などという苦労は別にしなくてもいいなとは思う。

勤め人が嫌になる3要素

結果のところ勤め人がくだらないと感じるのは、

  • 年収が低い
  • 拘束時間が長い
  • 決裁権がない

という3要素があるからである。

サービス残業はこれらの複合である。

これらの悪条件から脱したくて皆、独立起業を検討する。

しかしながら先述の彼のように

  • 年収一千万円台
  • 拘束時間:短め
  • 決裁権あり

という条件、しかも独立起業の最大のデメリットである事業リスク、これを自分で負わないとなれば、もはや勤め人を辞める積極的な理由はないだろう。

「どうしても人生でやりたいことがある!」という積極的な理由がなく、「仕事は生活費を稼ぐ手段」と割り切っている人には最適解なのではないだろうか。

これは大変うらやましい生き方だと思う。

ローリスク、ミドル〜ハイリターンな生き方と言える。

再現性は低い

しかし唯一にして最大の問題は、このポジションに就くことが難しいということ。

その彼は高学歴(基礎能力が高い)かつ運もあり、そして海外に抵抗がなかった。

だからこそ手にできたエルドラド(黄金郷)なのだ。

逆にいえば、それまでの努力(受験など)はこのためにあったとも言える。

そのため再現性は低いし、世間の99%の一般人にはもう間に合わない縁のない話とは思う。

彼は自分の持っている手札を最適な切り方で勝負を進めて、そこにたどり着いた。
その手札の切り方は見事と言う他ない。

これは勤め人という形態における、ひとつの完成形であると思って、私は尊敬している。

しかし自分が同じことできるか?なれるか?といえばそれは大変難しい状況なので、真似することもできないのである。

省エネタイプの人

続いて省エネタイプの人

こちらはだいぶ年配の方なのだが、そのキャリアに興味があり、話を聞かせていただいた。

その人はかつて大手メーカーで海外営業をしていて、ヨーロッパに赴任もしていたそうだ。

1990年代の話で、当時はインターネットもほぼ無かったような時代であったという。

その中で色々苦労しながらおよそ10年勤めた時に、

「もう疲れちゃったな」

と思ったそうだ。

そして当時の転職サービスに登録して、「年収下がってもいいからゆるい会社!」と希望してその通りの会社に転職したそうだ。

そんな彼は

「仕事は続けられるのが一番。

給料よくてもキツイんじゃ続けられないよ。

俺も最初の会社にずっといたら病気になってたと思う」

と語っていた。

一人目の事例の彼とは似ているが、給与や仕事内容は重視しない価値観であった。

海外向けの仕事を志向して高級取り&決裁権を求める1人目の人に対して、年収が下がってもいいから緩い仕事を志向した2人目の方。

年収の部分に対する考え方には差があるが、通底しているのは仕事の強度の低さである。

私はかつて聖帝サウザー師匠と共に「意識低い系転職のススメ」というオーディオ対談をさせていただいたのであるが、やはり全ての基礎はゆるい勤め人という状態だと思う。

最後に、この説を裏付けるお友達の話をしておく。

テンプレガンバリストくん

3人目はテンプレ通りに頑張っている人について。

彼もまた30代中盤、高偏差値の大卒で銀行勤務で既婚、子供2人というライフステージにある。

彼は銀行内での評価も高く、海外研修を経て本店の心臓部にて勤務をしているとのこと。

年収はおよそ一千万円で、やはりエリートであると言える。

ただしその働き方はなかなか激務なようで、帰宅は遅いという。

銀行員が昇進をするには各種資格やTOEICスコアが必須条件とのことで、日々勉強して資格取得に励んでいるそうだ。

マンションや車も購入し、子供のために頑張るぞ!という典型的なガンバリストな彼であった。

これはこれでまた、ひとつの形であると思う。

彼は正当な努力により実績を出し、正当に昇進している。

今後大きなトラブルがなければ、幹部まで行ける器だろう。

ただし彼の場合は聖帝サウザー流においては否定されている全てを満たしてしまっている。

  • 巨額の費用をかけた結婚式
  • 新築マンション(ローン)
  • 新車(キャッシュ買いだったが)
  • 出世レース最前線

話していたところ、彼は穢れなきイノセント勤め人であった。

この一本道を疑わずパワフルによじ登っていくだろうし、事実その実力がある人材だ。

彼のような人のサクセスストーリーが、次世代の多くの若人をまた惹きつける灯火になるのだろうと思う。

彼の場合は時間の自由はないながらも、その社会的地位と、十分な年収により押し切れると思う。

あとは本人の価値観次第だが、最前線で活躍している自負があるようなのでそれはそれで精神的報酬を得ているのだと思う。

つまりこの生き方も全然アリだ。

勤め人の瘴気

こうして3名の生き方に触れた。

彼らはベクトルこそ異なれど、「勤め人」という枠の中で納得しながら生きている。

そこには納得できるだけの要素があり、不満はあれどもトータルプラスだから大きなストレスなく続けていけているのだと思う。

そんな彼らの勤め人としての「風」を浴びて、私は一瞬「そういう生き方もアリか?」と思ってしまった。

勤め先のボスから評価されて年収アップ、裁量権が与えられブルシットジョブから解放、社会的地位あり、という生き方はアリなのかもしれないなと。

ただし、やはりこれは勤め人という枠の中での価値観に過ぎない。

勤め先のボスに評価されることなど、実は絶対的に意味のあることではない。

ブルシットジョブを避けることも、そもそもブルシットジョブというのは割と簡単な、専門能力不要のバイト的な仕事である。

勤務時間や休みだって、そもそも規定されていること自体に窮屈さを感じなくてはならない。

そう思うと、勤め人という枠に囚われている限りは、彼らのような生き方で最上級ということになる。

そこに魅力を感じるか否かが個人差だとは思うが、聖帝サウザー流を浴びた人には戻れない価値観なのではないだろうか。

エリート勤め人の風を受けて、一瞬、

「俺も転職して年収アップ目指そうかな?」

と思ってしまったのだが、冷静になって持ち直した。

それは罠であると。

コメント