いやはや、前回から早いもので4ヶ月以上が経過してしまった…
色々と思うところがあり、安易に書けないな…と自分で自分にブレーキをかけていた。
少しずつ、その考えを吐露していこうかなと思う。
それにあたっては、ハードルは低ければ低いほど良いので、なるべく省エネで行く。
最近の考え
まず、最近は勤め人卒業という概念はだいぶ薄れてきていることを認めねばならない。
というのも、私が最も勤め人という生き方を嫌っていた時期は、いわゆる団塊の世代が上層部にいて、直属の上司もその犬で、イヤ〜な感じの組織ピラミッドの中にいたからだ。
そういう環境から5年経った頃から、団塊の世代が消えて、その犬たちも退職したり、異動させられたりして、私の目の前から消えた。
これは、本当は力がないことがバレたからだと思う。
そうして、イヤな奴が消えた。
続いて仕事の、実務の方でも大きな改善があった。
それまでは雑魚狩りの任務をしていた。会社の全体業績に与える影響は限りなく小さい、大昔から続いているから維持しているだけの商売。
しかも大昔からの付き合いだから、相手も高齢化しているし、発注もFAX、メール使えません、電話ガンガン掛けます、という顧客の相手をしていた。難易度は低いが、面倒臭かった。
今思うと、こういう顧客を、人件費が高いエース社員にやらせるのは非効率的なので、当時若かった私に、経験を積ませると言う意味でやらせていた上司の考えは理解できる。今なら。
ただ、当時20代後半の私には不服で、それがいつまでも続くものだと思っていたせいで、不満を募らせていたのだった。
そして最後は給与の低さ。低いとはいえ化学業界はまだマシな方で、20代後半で500万円はあった。ただこれだと贅沢はできない。私はゴルフにハマっていたこともあり、お金がもっとあればラウンドにももっと行けるし、クラブも欲しい物をどんどん試せるのに、と思っていた。
つまり小遣いがほしいぜという動機だったが、そこからちょっと年収が増えて、ゴルフ熱がおさまってきたら、その悩みは成仏したのだった。
そして今、私はとある分野の最先端の分野で開発案件を行う営業となり、まあ…社内でも悪くない位置にいる。というのも値上げ頑張ったり、新規開拓頑張ったり、色々やっていたからなのだが、何はともあれ、ひとまず「うだつの上がらない勤め人」ではなくなった。
そしてこういう環境の中で、私の「勤め人卒業したい」という思いは鎮火したのであった。
この「ヤコバシ」というキャラクターは、人格は、聖帝サウザーオタクアカウントとして成長してきた。聖帝の白熱教室のレビュー、感想記事を書いて、聖帝セミナーの様子を書いて、聖帝のグッズ(ラーメン、蜂蜜)も買って感想を述べて…精鋭の諸氏と、聖帝という共通項で繋がっていた。
聖帝師匠の白熱教室の紹介文執筆も、やらせていただいていたが、アレは1本やりきるのに1ヶ月以上はかかって、聖帝師匠にも迷惑をかけるし、また師も、AIの活用の一つとして作品の要約をするということで私の出番は無事に完了した。
一抹の寂しさはあるものの、とはいえ毎月生産される白熱教室の紹介文を毎月やるのか!?と言われたら負担が大きすぎるし締切が無理で辞退していただろう。だからこれはこれでいい。約5年間、駆け抜けたということで一つの完了なのだ。
とはいえ、私は聖帝サウザー芸人になっていたのだと思う。
私のもう一つの側面である、化学メーカー営業としての活動日記はそんなにPVが伸びなかったが(笑)、聖帝師匠のコンテンツの紹介記事は安定して高いPVが出て、場合によっては数回、バズったこともある。
そう、つまりはそう言うことはなんだ。ヤコバシアカウントの意義とは、聖帝サウザー芸人なのであり、それ以外はあまり求められていないと言うことだ。
「そんなことないです!」と思ってくれる、言ってくれる人が少数いることも、実はわかっている。というのも、そう言ってくれる方からDMもらったり、ZOOM面談したり、実際にお会いしたこともある…大変ありがたい。
ただ、私は匿名アカウント。実名も所属も明かせないし、勤務先の商売に絡めることもできない。
そういう環境の中で、私ができる発信の意味は?と考えたら、ブログを更新できなくなっていたのだった…
そして私は、当初は「ブログで稼いで、不動産を買おう!」という純粋な想い(笑)で始めたのだが…今思えばまぁ〜稼げないジャンルであった。草。
強いて言えば転職エージェント登録して化学業界行こうぜ!とアフィリエイト誘導するくらいだったが、その道をガチっている人には敵うわけもなく。
稼ぐと言うことの仕組みをわかっていなかった。
本気で「稼ぐ」なら、テーマ選定や、その集金方法から設計していかなくてはならないし、その過程は修羅の道で、良心の呵責に苛まれる要素も必ずある。
時間をかければ信頼が積み重なるのかもしれないが、そういう種類の金稼ぎがしたいんじゃなかった。
そして今、先述のように目下、勤め人を急いで辞める積極的な動機はなく、カネにも大して困っていない環境で、では自分はどうしたいのか?と思った時に思い浮かんだのは
「65歳から先」のことを考えたからであった…続く