僕が「雇われ人」を使う理由

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雇われ人卒業
現在このブログは「人生、ガード前進」というタイトルになっている。
これは無料のライブドアブログから、独自ドメインのワードプレスへの移行時に設定しなおしたタイトルであり、最初の最初は「脱・雇われ人研究室」というブログタイトルであった。設立は2018年6月。同5月頃からサウザーラジオを聞き始めていた。
8月で白熱教室が値上げとなり(消費税のため)、購入に踏み切った足立先生の白熱教室①を聴き、ひとまずブログ始めてみようと思って設立した。

ブログタイトルについて

その時、ブログタイトルは結構悩んだ。
「~~ブログ」「~~日記」では本当にただの日記帳になる予感がしたし、かといってカッコいい名言みたいなものも当時は思いつかなかった
「勤め人卒業」というテーマをもったブログにしようと思ったので、「脱社畜」的なタイトルも考えたが、そのキーワードでは超有名な「脱社畜ブログ」の圧倒的存在感から、ただのパクリだなとも思い、「社畜」は使えないと思っていた。

「勤」という漢字

サウザーさんが良く使う「勤め人」を使うのも手ではあった。「脱勤め人ブログ」などもアリではあったが、やはり「脱社畜ブログ」のパクリ風味は抜けない。
そもそも、僕は「勤め人」という単語に若干のポジティブな雰囲気(ニュアンス)を、感じてしまっていたから、使いたくないなと思っていた。
勤め人とは、文字通り「勤めている人」。
この「勤」という文字が良くない。ポジティブな意味を持つ。
勤」には、「勤勉」をはじめとして「忠勤」などの熟語がある。「勤」には忠義や誠意、忍耐強さなど、ポジティブなニュアンスを持つように思う。だから僕は「勤め人」という単語に、ややポジティブなイメージを感じてしまうのだった。
しかし僕はブラックとホワイト、どちらも勤務して悟っていた。
「雇われの身に、胸を張れることなどひとつもない」と。
そんな僕が「勤め人」という言葉を使っていると、なんだか「勤め人」でいることがポジティブに見えてきてしまう。なんだか、良いことしているような錯覚。だから「現状維持でいいかな」と意志が緩むのだ。

「サラリーマン」のニュアンス

また「脱サラ」という言葉もある。もちろん脱サラリーマンの略であるが、ぼくはこの「サラリーマン」という単語にもやや肯定的なニュアンスを感じてしまう。肯定的、というか「社会的な定番」なイメージというべきか。
「サラリーマン」は、通説には明治時代に始めて使われた言葉だという。農家や自営業が多かった時代には珍しかった「正規雇用の給与所得者」を指す言葉として生まれたという。当時は「正規雇用で雇われる」というのは少数派だったようだ。
しかし高度経済成長期・バブル経済を経て「サラリーマン」という生き方は社会の大多数となった。その性質から、中流階級の人々を指す言葉へと、社会的な認知は変化していったのではないか。僕は昭和末期~平成初期に幼少期を迎えたが、クレヨンしんちゃんの父・野原ひろしやサザエさんのマスオさんのような人達=サラリーマンという認識でいた。もちろん僕の父もまた、サラリーマンであった。
平成初期は、社会的な地位も約束されており、過不足ない中流階級としての「称号」とも言えた「サラリーマン」。だから僕はこの「サラリーマン」という言葉もあまり使いたくないなと思った。
なんだか「マトモな、普通の人」というややポジティブな、中の中から、何なら中の上までありそうな身分のニュアンス。まぁ実際そうなのだが、そんなイメージが拭い去れないのだ。

侮蔑を含む「リーマン」

しかし平成中期以降は、長引く平成不況もあり「サラリーマン」は「リーマン」と短縮され、侮蔑的な雰囲気を帯び始める。
先述のマスオさんや野原ひろしのような中流階級の「ザ・サラリーマン」な生き方が難しくなって、年収300万円台、安月給、お小遣い2万円、みたいなイメージが「リーマン」であろう。
この「リーマン」はなかなかに良いと感じた。
「勤め人」のようなマジメなイメージもなく、「サラリーマン」のような中流な身分をしめす言葉でもない「リーマン」。「社畜」に近い。
まさに社畜的な、貧しいけど文句いえない弱気な会社員。ちょっと侮蔑的なニュアンスを含む、この「リーマン」もなかなか良いなと思っていた。「脱リーマン」だ。
だが…なんだろう。ちょっとしっくりこなかった。
なぜなら僕自身があまり「リーマン」的に扱われていなかったからだ。定時で帰れるし、仕事もきつくない。年間休日も120日以上あるし、有給休暇も余裕で取れる。年収だって30歳で500万以上だったから、そんなに困窮していなかった。既にサボリーマンだったので実質的な時給は高かったからだ。だから僕ヤコバシのブログタイトルとして「リーマン」は適切ではなかったのだ。
もし1社目のブラック企業(年休80日年収324万)だったら「リーマン」でも良かったが。

「雇われ人」という蔑称

僕はホワイト化学メーカーでゆるふわな営業マンをしているうちに、社内外でいろんな人に会った。いかに知識があろうが、いかに人間的に魅力があろうが「雇われ人」である限り、その限界からは出られないのだということがわかってきていた。
サラリーマンである以上、営業だろうが技術開発であろうが、部長だろうがヒラであろうが「雇われ人」であることに変わりは、ない。もちろんバイトもそうだ。
僕のボスも組織を登り詰めて、営業本部長・常務取締役だけどその本質は「雇われ人」だ。雇われている以上、雇い主の方が強いのは、当たり前のことである。雇い主の指揮命令によって動くのだから。仮に自分が間違っていると思った戦略でも、雇い主が「やれ!」と指示したらそれはやらざるをえないのだ。逆にいうと、その責任は雇い主が負うので、雇われ人に責任が及ぶことはない。
そう、雇われ人というのはどこまでいっても「オペレーター」にすぎないのだ。
僕はこのことから「雇われ人」という言葉には侮蔑と、不自由さを感じた。今の僕の身分にはピッタリな単語だと思った。
勤め人でも、サラリーマンでも、リーマンでもなく「雇われ人」。

侮蔑を感じて精神を束ね直す

僕はブログやツイッターでの発信時には意図的にこの「雇われ人」という単語を使うようにしている。ただ、サウザーさん絡みの案件などは氏の表現を尊重して「勤め人」で書いている。たまに、勢いで書いている記事などは「勤め人」になることもあるけど、基本的には僕は「雇われ人」を使うようにしている。
この「雇われ人」を使うたびに僕は侮蔑的なニュアンスを感じ、気持ちが引き締まる。
僕の日々の雇われ人仕事は、ゆるふわなので、油断するとそのぬるま湯に浸かったままでいっか〜?と決意が緩むことがあるのだ。そんなときにこの「雇われ人」という単語は、僕に「侮蔑」を思い出させてくれる、蔑称なのだ。

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