前回の記事では
「戸建て大家さんになれば家賃収入というキャッシュフローが生まれて、生活費を確保できる
=雇われの身分から脱せられる」
という夢が頓挫したまでの経緯をお話しした。
ただそこで「無理だ」と諦めて、大人しく雇われ人を60〜65歳までやるのか?と思った時、それは嫌だなぁと素直に思った。
本記事は、それらを踏まえて考えたことと、その先について述べようと思う。
「副」という単語にやられていた
雇われ人の境遇から脱するには、その雇われ仕事からの給与以外の収入を作ることが求められる。
会社員として労働力を売る対価を得るだけではなく、自分の商品を作ってそれを売り、その収入でもって自分を養うのであると。
そう聖帝サウザー師匠から教わった。
その商品のひとつに不動産の賃貸があり、その中でも割と低資本でも参入できる可能性があるのが、築古戸建てであった。
しかしこのことをよく掘り下げていくと、実はまず最初の最初から、僕は認識が間違っていたことに気がついた。
僕が間違っていた部分とは、このいわゆる「副業」の部分をあくまでも「副業」と捉えていたところだ。
「副業」という文字と響きには、「サブ」「傍流」のようなイメージがつきまとう。
この「副業」が時間経過とともに成長して、生活費に十分なキャッシュフローを稼ぎだしたその時、雇われ人を辞めることができると。
そして「副業」が自然と「本業」にスライド、切り換わって、その事業で生きていくというコースを考えていた。
もちろんこれはその通りであるのだが、僕に欠落していたのは「本業にするんだ」という視点・気持ちであった。
「副業」という言葉は、あくまでも補填、お金稼ぎのサブ手段、さらにイメージとしてはやはり不動産や株式といった、不労所得系が想起される。
この辺りのイメージを持っている限り、前に進めないと痛感した。
というのも、このような形で「副業」を探そうとすると、そこには自ずと効率が求められるし、お金という評価軸が重視される。
つまり「お金を稼ぐために副業をする」という考え方になる。
僕はこの考え方をしていた。
ただ生活費を稼ぐためならば、定期的で安定的な家賃収入をもたらすという形式である「不動産」は最適解であろう。
事実、それをうまく使って暮らしている人も多いし、これを土台、守りとして、他の事業に取り組んでいる人もいる。
しかしこの意識でいると、実は前に進めない。
本業にするための助走期間
副業を、+αの収入チャネルと捉えている限り、そこには熱意はなく、したがって一生の仕事としていくという意識も覚悟も湧かない。
僕が決定的に間違っていたのは
「専業の不動産大家さんを本業としてやっていく」
という意識と覚悟がなかったことだ。
不動産は生活費を確保する手段、副業収入としての1チャネル。
そう捉えているから、馬力も出ないし特殊な取り組みをしようともしない。
だから今、不動産界隈で物件取得やDIY修繕を頑張っている人達は、この行動を本業にしたいと、意識しているいないは別として、深層で、本気で、思っていらっしゃるからこそ、そのような試練に立ち向かえるのだ。
僕は敬意を込めてその皆様を「ガチ勢」と思い、尊敬している。
単に「副業として収入源にしたいな」程度の思いでいるこの僕が参入できるほど、今の築古戸建て賃貸業は甘い市場環境ではない。
そんなことを痛感した。
それは前回の記事で述べた通りだ。
不動産の輝きは失われない
ただし誤解を招かぬよう述べておきたいのは、このことは決して、不動産賃貸業の輝きが失われたということではない。
今の状況を見て思うのは、単に参入障壁つまり初期費用が高まってしまったのだということ。
以前は300万円で参入できたところが、1,000万円になっているとか、そういうステージに入ったのだと捉えている。
僕としては不動産は積極的にリスクをとってやるものではなくて、溜まってきた現金を現金のまま寝かせるのではなく、資産に変換していくという位置付けでいる。
そこまで手がかからないようなグレードの物件(高いけど)を、なるべく外注し運営する。
このように自動化を狙えば、利回りの%は下がるし、手残りは減る。これは当然のことだ。
現金が貯まったら、折を見て不動産に変換していく。急拡大は狙わない。大儲けも狙わない。
「不動産賃貸大家さん」の一本槍で、専業で、独立を狙わなければ、このような方針でもいいのではないかと考えている。
ではそれにあたって、お金を得ていく方法はどうするのか?がポイントになる。
「起業」を意識する
冒頭で述べた通り僕は雇われ人を卒業したいと望み、そのために副収入を欲した。
…この「副収入」という単語も良くないな。
大切なのは「副」というニュアンスを作らないことだと、ようやく気が付いた。
つまり「副業」ではなくて「本業」を雇われ人仕事の傍で秘め育てていき、それを「本業」と成す。
つまり「起業する」ことが雇われ人卒業の道なのである。
雇われ人を辞めるということは、経営者になるということ。
ただ辞めて、浮草のような旅人になることではない。
自営業者として自立するから、結果的に雇われない、ということになるのだ。
この辺の意識が僕は足りなかった。
雇われ人仕事以外の収入が積み上がっていけば、それで生活費が稼げて、いつしか卒業できる…そう思っていた。
そうではなく、なんらかの商売で「起業」して「独立」して「経営者」にクラスチェンジするから、その結果として雇われ人を卒業できるのだ。
お恥ずかしながら、僕はこの「起業」という概念を怖がっていた。
「起業」という言葉を見ると、なんだか著名な起業家の顔がイメージされてきて、ああいう人にしか起業なんてできないんじゃないかというマインドブロックが掛かっていた。
「雇われ人(勤め人)を卒業したい」
という願いは、実は
「何らかの商売で独立起業したい」
へ変換されるのだ。
自分の魂に聞いてみる
そこで自分の魂に問わねばならない。
「キミは何の分野で起業したいの?生業にしたいの?」と。
起業するのだから、それは当然、一生付き合っていく自分の仕事つまり生業にするということ。
「その仕事を、生業としたいか?」
というシンプルな問いを自分に投げかけなくてはいけない。
いかに不動産賃貸業が安定しているから、儲かるから、といっても、その中身を好きになれなければ生業にすることはできないであろう。
確かに儲かるけど、やっていくのが辛いなら、面白くないなら、それは雇われ人とあまり変わらない。
また好きなことだから、夢中になってしまうことだからこそ、苦労が苦労にならない。
工夫もアイディアも出るし、自ずと勉強もする。
そう結局は、自分の魂の色に問うしかないのだ。
そうして「これは好きだな」とか「作業が苦じゃないな」と感じて時間を忘れて没頭できることこそが、自分の生業になるのだ。
僕に必要だったのは「儲かりそうな副業」ではなくて「起業してまでやりたい仕事」を見つけることだった。
それを探す試みが必要だったのだ。
商売の基本
しかしながら、ただやりたいことだけをやって独立起業できるほど、この世界は甘くもない。
商売を始めるにあたっては、収益性も考えねばならない。
その収益性を考えるときには、大原則がある。
それは「安く買って、高く売る」である。
どんな形態の商売であっても、これが両方できている商売は儲かる。
安く買うには独自の仕入れルートが必要だ。
高く売るには、自分の手で何か付加価値を付けねばならない。
この両方の観点で、自分が出来そうな商売を見つけることこそが、本当に必要なことだった。
そのため築古戸建て大家さんになるのも、この原則が達成できるか否か?がポイントであった。
築古戸建ての場合、貸すときの家賃には相場があるから、相場からかけ離れた家賃は設定できない。
ゆえに「いかに安く仕入れるか?」が勝負となる。
そして安く仕入れる方法は自分にできそうか?と考えたとき、この部分を情報収集していくと、どうも…とても難しいレベルになっているようだ。
僕が今持っている手札で検討すると…どうもできなさそうだった。
情けないが何より、それを究めていく意欲がなかった。
そのためこれは向いていないなと思ったのであった。
無意味さの忘却、苦にならぬ徒労
僕が座右の銘にしていて、10年以上忘れずにいる言葉を紹介する。
Fate/Zeroより、英雄王ギルガメッシュ先生の「愉悦」に関する講義である。
英雄王ギルガメッシュ先生はこう仰られた。
「無意味さの忘却、苦にならぬ徒労。すなわち紛れもなく遊興だ」
「遊興は愉悦を導き、愉悦は幸福のありかを指し示す」
「自覚がなくとも、魂というものは本能的に愉悦を追い求める。
喩えれば血の匂いを辿る獣のようにな。
そういう心の動きは、興味、関心として表に表れる」
僕は、恥ずかしながら自律心が弱い。
そのため気合と根性で、特に関心のないボロ戸建てのDIYリフォームはできなさそうだし、地場の不動産屋さんに片っ端から飛び込みローラー作戦するのも、気が進まない。
「そんなこと言ってるからオマエはいつまでも雇われ人なんだ!」
「卒業したいなら手段選ぶな!」
「必死さが足りない!オマエは本気じゃないんだ!」
とお叱りを受けることも…重々承知しているし、自分でもそう思う。
それが正論であると。
サラリーマン適正
なぜ自分がこんなノンキなのか…ほとほと残念に思ったこともある。
尊敬する聖帝サウザー師匠は、ゆるふわ勤め人の環境にあっても、その生き方を良しとせず、ぬるま湯に浸かり切ることなく邁進された。
このことは、零時レイさんからのインタビューオーディオにて語られている。
聖帝曰く「勤め人というのは、堕落している」と。
自分で判断することを放棄し、指示されるままに生きる姿勢を「堕落」と一蹴した聖帝サウザー師匠の意見には、僕もはっとした。その通りだと。
聖帝サウザー師匠の主張は、色々あるが結局はこのことに集約される。
「一生懸命、生きろ」
そう一生懸命生きることがなんだかんだで、人生において大切なのだ。
その人生の大部分の時間を過ごす「仕事」の時間を、のほほんと給料をもらいながら小間使いに甘んじてサラリーマンをしていくのか、自分の生業を見つけて、一生懸命に、そして楽しく過ごしていくのか。
そういう葛藤が出てきたときに、サラリーマン適性という要素が顔を出してくる。
サラリーマン適性とはその文字の通り、サラリーマンという生き方にどれだけ適性があるか?である。
サラリーマン適性が高い人はそもそも聖帝コンテンツには出会わないだろうし、たとえ出会っても受け入れられないだろう。
サラリーマン適性が低い人は、放っておいても独立自営の道を歩もうとする。
サラリーマンという生き方が苦痛で仕方ないタイプの人だ。
ただしサラリーマンという生き方を演じられるかどうかは別だ。
苦痛に感じる度合いのことをいう。
僕が見聞きした感じだと、聖帝サウザー師匠はこのタイプで、とにかくサラリーマン・勤め人のマインド、生き方を嫌っておられた。
そしてそういうマインドの人々で溢れている勤め先から抜け出したくてしょうがなくて、その気持ちが、若き日の氏をボロ戸建てへ向かわせたのだという。
そうして考えたとき、僕はどこにいるのだろうか。
僕はーーもちろんこのような活動をしているので、サラリーマン適性が完全の状態ではない。
しかしながら、そこまでサラリーマンという生き方を否定し切れてもいない(好きでもないが)。
このようにサラリーマン適性が少しあるのが、僕ヤコバシの厄介な性質である。
僕は愚かしくも、実は雇われ仕事でもちょっと評価されていて、かつ同世代がほぼ居ない。
化学業界は、若い人材不足なのでこうなっている。
そのため放っておいても、順調に昇進もするし定年まで行けてしまうことが予想される。
少なくとも真面目に雇われ仕事に邁進して成果を残していけば、問題はないラインに達しつつある。
このあたり、僕は愚かで、雇われ仕事を全シカトして副業に邁進、ということができなかった。
これはもう、僕自身の特性という他ない。
義務教育の頃から真面目くんで、何かと役職やらリーダーやらをやってきた僕は、雇われ人の仕事もまぁ…一生懸命やってしまったし、やっている。
「雇われ人仕事なんて馬鹿馬鹿しい」
とこのブログやTwitterで散々言いながらも、なんだかんだで仕事はちゃんとやってしまう。
コロナ前も、外出してサボり散らかしながらもなんだかんだちゃんとやること(新規開拓)はやっていた。
これが僕というハンパ者の性質なのだ。
だから、雇われ人という生き方をそこまで憎みきれず、現職がゆるふわ化学メーカーであることも手伝って、自分を強く駆り立てるものがなく、不動産投資にガチれなかった、と自分を分析した。
ハンパ者を駆動するには
そんなハンパ者の僕がもし仮に、ブラック薄給勤務に今なお置かれていたなら、そこから抜け出したいという一心で築古戸建て探しにも熱がこもったかもしれない。
しかしながら幸運にも化学メーカー勤務で年収は500万台半ば、19時には帰宅というコスパ良い労働環境にいる。
そのため僕には、大きなマイナスから逃れたいという追い込まれ系のモチベーションは残念ながら無い。
そんな僕を駆動するには、先述の「無意味さの忘却、苦にならぬ徒労」という内なる欲求をうまく使い、プラスの方向へ自然と歩ませていく方法が適しているのだと思う。
克己心も弱く、強烈に嫌なこともないこの僕が前に進むためには、この内なる欲求をうまく利用して自動操縦モードに入る他ない。
種銭ができていた
そして気がつけば、築古戸建てを買おうと思って貯めていた貯金は、今650万円ほどにまで増えていた。次の冬ボーナスで700万を越す見込みだ。
2018年には100万だったが、3年で600万増やせた。
このお金を使って、商品を作り出すという選択肢が選べるようになった。
これは2018年には取れなかった選択肢である。
とはいえ一気に700万突っ込んで何かやるということでもなく、まずは少額にて、文化祭でお店を作るような規模で始めていこうと思っている。
「モノ」の価値に頼る
僕は独立起業に際して情報収集をした。
そして自分に作り出せる商品は何があるか?と考えた。
まず思いついたのは、自分の知識経験を売ることで、これは既にやっている電子書籍を書いたりすることだ。
自分という個性を全面に押し出した商品で、いわゆる「ネット芸人」としての生き方だ。
別の言い方をすればインフルエンサー()にも通ずるが、この夢はもうとっくに頓挫している。
知識経験を、情報として販売するのは、とても難しい。
聖帝サウザー師匠クラスの実力がなければ成り立たないだろう。
そのため情報を売り物にするのは諦めていくと、次には「サービス」を売るか「モノ」を売るかが残る。
しかし「サービス」もまた属人性が高いしいわゆる「美容師モデル」になりがちと思う。
となると残るは「モノ」を売ることであるが、これは良い特性がある。
「モノ」には「実用性」があるので、あまり属人性が問われない。
もちろん「誰が作ったか?」はブランド価値にもなるけれど、それは最初から得られるものではなく、実績によって得られるものだろう。
そんな「モノ」の価値をしっかり高めて、属人性を排して、それでも売れるモノを作ることが大切なのだ。
この姿勢はやはり、聖帝サウザー師匠の背中から教わった。
聖帝サウザー師匠は、男性用基礎化粧品「セイントグレイル」を作った。
純粋国産蜂蜜も作った。
賃貸の戸建てもある。
これらの実物ビジネスには「サウザー/聖帝/聖丁」の名は冠していない。
近い未来に「セイントグレイルは愛用しているけれど、聖帝サウザー師匠のことは知らない」という人も増えていくと思う。
そういうことなのだ。
そのことについては、この白熱教室紹介文において聖帝師匠直筆で語られている。
「ネット芸人の収入からの脱却」
そう結局は、インターネット世界の上ではなくて、実世界にてモノを作って売っていくという「実業」が必要ということ。
少なくとも凡人には、この基本により起業・独立して経営者になることが現実的な路線と考える。
「モノ」の作り方
最後に、どのように「モノ」を作っていくかについて述べておきたい。
僕は約10年前にこの本を読んだ。
この中で、僕がずっと憶えている部分がある。
それは「起業のアイディアはどこにでもある」という部分だ。
例えば自分の持っている財布には、不便なところや不満に思うことがひとつはあるはずだ。
それに気が付いたなら、
その不便を解決する商品を作ることがビジネスのチャンスなのだと。
自分がこれまで欲したモノ、欲したこと、もっとこうなったら良いのになと思ったこと。
そういうところにヒントは隠れている。
そのヒントに気がつくということは、自分には関心があることであるし、場合によってはそのことに詳しいから、そう感じるのではないか。
モノを買うことは勉強になる。
「ここは良いな」
「ここはもっとこうならないかな」
「この部分は要らないんじゃないか」
これらの気付きにより、感性のアンテナが磨かれる。
その中で「アレ?こういう商品って世の中に全然無いな。あればきっと皆喜ぶのに」
こう自分の感性で気付き形にすることが「起業」のヒントなのだ。
ヤコバシ3度目の夢
こうして僕は不動産の夢を諦めた昨年の今頃から、ずっと商売を探し続けた。
自分が好きで、関心のあることで、知識経験もあり、かつアイディアを出してより良い商品をつくれそうなこと。
その視点で世の中を見て、気付き、考察したところーー
ようやく良さげなものが見つかった。
正確には、良いものと良いものを組み合わせてより良いものを作る系だ。
それは多少の初期投資が要ることであるけれども、今の自分になら生活を脅かさない程度に投入できる種銭もある。
これをトライアンドエラーしながら、育てていくルートを試してみたい。
このような試みの中に、自分の生業の候補が生まれてくると信じて、苦にならぬ徒労を追いかけていこうと思っている。
コメント
はじめまして、ヤコバシさんと同じくらいの年収帯のサラリーマンです。関東圏で築古戸建を一戸賃貸しております。
一時期よりは少なくなりましたが、元手が5〜600万もあれば関東圏でも利回り12%くらいの物件はまだ見つかるんじゃないかなと思っています。
運営が安定するまではヤキモキしますが、実際やってみないとピンとこない部分もあると思うので、陳腐な言葉ですが、先ずはスタートして、走りながら考えるというのもアリかと思います。
マツさん
コメントありがとうございます!
既に物件お持ちとのこと、素晴らしい行動力かと思います。
確かに500万、家賃5万/月なら12%ですね。
それくらいの物件ならば確かに関東圏にもありますよね。あとは修繕の度合い次第でしょうか…