またもや更新が空いてしまった。
色々と思うところあり、ブログの更新に二の足を踏んでいた。
スタンスの変化
私はこのブログを、雇われ人卒業のための基地としてきた。
初期に無料ブログで開設したときは「脱雇われ人研究室」というブログタイトルで、ワードプレスに移行した時に現在の「人生、ガード前進」に改名した。
私は20代の後半に聖帝サウザー師匠とVoicyにて出会い、勤め人卒業という概念に魅せられた。
もっと前の話をすれば、2016年頃からサラリーマン生活に色々と不満があり、当時隆盛を誇っていたイケててハヤい先生の発信や著書を読んでいた(聖帝サウザー師匠のことも、イケててハヤい先生のリツイートで知った)。
当時ーー2018年ごろ、今から6〜7年ほど前を思い返す。
私は雇われ人として面白くない立場にあった。
当時は、私が思う、雇われ人として嫌なこと3つを満たしていた。
- マイクロマネジメントされる
- 雑魚狩りの任務
- 低賃金
当時は、団塊世代の上司が多く、まぁ色々と…合わなかった。
そうして「バカの下で働きたくない」と思って、色々と模索していた20代後半だった。
ちなみに、当時から化学メーカー勤務だったので仕事それ自体は全然キツくはなかった。
むしろ暇だった。サボるということではなく、「そもそもやることが少ない」のであった。
化学メーカーの仕事はある意味、「完成」しているものだからだ。
有り余る時間と労力で情報収集もできたしブログもたくさん書けた。
働いているはずだが働いてない。
ちなみに「低賃金」とは書きつつも、20代後半で500万弱の年収はあったので、困窮はしていなかった。
こういうのが、化学メーカー勤めの良さだ。
そして私は聖帝サウザー師匠から勤め人卒業のヒントをもらい、研究を始めた。
聖帝流のまとめ(私が思う)
聖帝サウザー師匠の教えはとてもシンプルだ。
私としては、この3点が聖帝流のコアでないかと思っている。
- 自分の商品を作って売れ
- 不動産賃貸業をやれ
- 高い買い物は避けよ
労働力を切り売りするのではなく自分の商品を売ってお金を得ることで、時間の制限から解放される。
不動産という、資産になり、かつ安定的な収入をもたらすものを買う。まさに資本。私も色々な商売を研究したが、お金を稼ぐには、大きく分けて「売り切り」か「レンタル」がある。
サブスクもあるが、これは売り切りと本質的に同じだ。
「売り切り」は商品の所有権を売るからだし、サブスク型であっても結局は新商品を出し続けないと解約されてしまうからだ。
対してレンタルは、所有権を保持しつつレンタル料をもらう形で、例えばバーベキューの道具やスノーボードの板とウェアのレンタルなどのイメージだ。
そして色々と研究してわかったのは、売り切り型の商売は、常に新規顧客の開拓と、新商品の開発が必要だということ。
売って終わりだからだ。
対してレンタルは貸し続けていれば毎月お金が入ってくるし、所有権は自分のままだから失われない。しかし先述のBBQ道具のようなものは消耗して、いずれ壊れて買い直す。
そして、低額なレンタルは手間(清掃とか洗濯とか)が多いのでおいしくない。
そういう研究の末に行き着くのは不動産の賃貸業が割と高額で、耐久力が高いため手間が少ないし、新規顧客を探すことも少ないということだ。
土地や建物という元々がとても高額なものを所有して、それをレンタルするから良い。
しかも、住居という、顧客(入居者)にとっては簡単に引越しができない上に家賃という形での安定収入。
これが聖帝師匠が「不動産は最も簡単な商売」という所以であろう。
簡単とは言いつつも、決してラクな訳ではないのだが、どんな商売をするにせよ苦労やリスクはある。
結局はその労力とリスクを投入して、そのリターンである金銭的な報酬と、精神的な報酬、これがどんなバランスなのか?が「おいしい」「おいしくない」のジャッジなのだと思う。
2023年末に、聖帝サウザー師匠はラーメン屋を閉店することを決断された。根本的な利益率の低さや従業員の事、ネット芸人活動の方が効率的、など色々とあるが、要するに総合的に「おいしくない」のでやめたのだと思う。
お金の面だけでなく、精神的なリソースを食われたり、制限が生まれるということで見た目以上にコストがかかっていて、結果「おいしくない」という感触と判断になったのだと思う。
そういう意味で、不動産の賃貸業は総合的に「おいしい」要素が多い。
そして最後の「高い買い物は避けよ」だが、これは具体的には新築の家、新車、盛大な結婚披露宴だ。これらは消費性の支出かつ数百万円、家ならば数千万円の出費となる。
土地は資産として残るとはいえ、うわもの(建物)は価値を失っていくし、車も10年も乗ればほぼ価値がなくなるのが基本だ。
結婚披露宴は言うまでもない。
よく聖帝師匠がおっしゃることであるが「実使用の価値に見合わない買い物はするな」ということだ。
これらさえ回避すれば、まずは経済的に追い込まれる可能性はグッと下がる。
まさに守りの要衝である。
ただし、必要以上に支出を切り詰めると、それはそれでストレスになるので、ほどほどにガス抜きもする。
自分は?
さてそんな生き方を聖帝サウザー師匠に教わった私はどうなったのか。
まず、「勤め人卒業」の研究はできた(上記のように)。
しかしこの「卒業」は、勤め人を極めっていった先の、延長線上にはない。
結局のところ勤め人を卒業するというのは自営業者、経営者にジョブチェンジしようという決意が要る。
私のように「雇われの身分やだな〜うざいな〜」という負の方向のモチベーションは、いわゆる「逃げ起業」であり、早晩つぶれて元の勤め人に戻る運命を打ち付けられる。
そうではなく、自分自身で「この道で生きていこう」と思える商売を見つけて、その道の活動を始める。
勤め人をしているなら平日の夜や、土日休日のフル投入になる。
そして始めた事業が収益を生み出し始めて、もっと時間を投入すればもっと稼げると思った時、もしくは時間をもっと確保しなければ差し障ってしまうと感じた時、自営業者へのジョブチェンジをして結果的に勤め人を辞めざるを得なくなるのだ。
勤め人という段階でできることを文字通り「卒業」した人、もしくは、できるであろう人がまさに「卒業」していくのだ。
逃げ起業は「中退」のようなものだ。意味合いが全然違う。
このとき、不動産賃貸業というのは収入が毎月あって安定性が抜群に高いため、他の事業と比べてハードルがやや低い。
これが聖帝サウザー師匠が推奨する理由だと、私は思っている。
結局は比較
また、2024年1月末で丸2年配信された聖帝プレミアムVoicyも一区切りということで終了された。
この告知から、プレミアムVoicyのコメント欄には多くのコメントが寄せられている。
その中で、いくつか勤め人卒業を果たした同胞のコメントがあり、感謝を述べておられた。
そしてそれを読んで思うのは、「これは…良かったですね、本当に」という内容だった。
私はなんやかんやで文系MARCH卒で化学メーカーに勤務している。年収もまあ、悪くない水準…というか恵まれている方だし、残業も少ない。精神的プレッシャーもほぼない。
ちなみに私もいろいろあって、面接をする側の立場となったのだが、そこで出会う求職者の人々の現職のヤバさを見ておののいている。
「え?こんなにキツい商材を、そんだけのアポ取って毎日やってるの?え?そして年収300万円台?20代後半で?嘘でしょ?」
と思ったが、若き日の私もそんな感じだったので、共感したのだった。
あるよね、そういう会社あるよね、と。
拙著『キツい営業ラクな営業』で述べたが、キツい営業はそもそもキツい商売をしているからキツいのであって、ラクで儲かっている会社はそもそもラクで儲かることをやっているから、ラクなのである。
そしてまた自分自身の研究が進んで分かったのは、このラクな商売も何世代にも渡って築き上げられているということだ。
創業者というのは並大抵でない苦労をしてひと山当てて、儲ける。そしてそれを受け継いだ2代目、3代目がさらに発展させ、収益の柱を変えたり、増やしたりしながら世代間の引き継ぎをしていく。
それらがうまくいった企業が今、大企業になっていたり、優良中堅企業になっている。
戦後の焼け野原からのスタートであれば皆、同じスタートラインなのだが、今のこの時代は、高度成長期〜バブル〜平成不況を乗り越えてきた会社が多く、その蓄積は大きい。資本的にも、人材的にも、金融機関の信用的にも。
何が言いたいのかというと、今から裸一貫で参入しても苦闘は避けられないということだ。
そして私の場合を考えた。
苦しゅうない今の境遇を考えると、乾坤一擲で独立自営を目指すのは「おいしくない」と判断した。
イケててハヤい先生や、聖帝師匠は若くして勤め人卒業を成したこともあり、勤め人のおいしい部分までは知らなかった可能性がある。
もしくはその気質から、私が「おいしい」と思ったことについて「全然おいしくなどない」と感じるかもしれない。
例えば、親族や子供らに自分の職業を堂々と言えたり、スーツでビジネスマン的なコスプレをしたり、会社の看板で大手企業の人に会える、規模が大きいビジネスの一端を担当することができる…
これらを「オモチャの勲章だ」「くだらない飴玉だ」と一蹴する価値観の人もいるかもしれない。
しかし少なくとも私には、これらはそこそこマトモな勲章に思えるし、悪くない味の飴玉だなと思う。
これは本当に、個人の趣味嗜好、好みの問題だと思う。
