激流を制するは静水。
北斗の拳、トキの名言である。
最近、感じるのはインターネット世界には「剛の拳」を得意とする人が多く、その剛の拳で自らの人生を切り開いている。
「自分の生き方はこうだ!」
と宣言し、組織に縛られることもない。
周りの目を気にする生き方はやめて、嫌なことは嫌だという。
違う意見には正面切って違うと言う。
その生き方は、単純にカッコイイし、見ていて痛快だ。
そういう人たちは同時に、誇り高く豪気なので、単純に憧れる。
皮肉でもなんでもなく純粋にカッコイイ。思わず憧憬を感じる。
自分に合ったスタイルを
そうしてそんな彼らを見るたびに僕は
「自分も頑張らなきゃな!」
と思うのだが、僕には彼らのような勇気も能力もなく、その力の差にただただ無力感を感じるのだった。
年齢も近い、むしろ自分よりも歳下であっても剛の拳を持つ人には敵わない。
それでは、もう僕は諦めるしかないのか?
いや、そうではない。
同じ土俵で戦わなければ良いのだと思う。
僕は性格的にも、スペック的にも、剛の拳は使えない。
逆に、柔の拳なら僕にも使える。
たまに剛拳の使い手なのに柔の拳も使いこなしている夢想転生習得後のケンシロウみたいな人もいるが、インターネットで目立つ人はだいたいが剛の拳士だ。
そもそも剛の拳でないとネットの世界で目立たないだけなのかもしれないが…
柔の拳士
世の中には柔の拳士もたくさんいると思う。むしろ読む専の人は柔の拳士が多いだろう。
僕もそうなのだが、柔の拳士が剛の拳士になるのは難しい。
だからこそ僕は柔の拳士スタイルで、柔の拳士にとって有益な情報を発信していく。
例えば、過去記事で1を払って10を得ると言う記事を書いたのだがこれは柔の拳の考え方だと思う。
例えば、この事例を剛の拳だとこうなる。
「飲み会など不要!断れ!ゴルフ?時間と金の無駄だ!」
「会社が嫌?なら辞めろ!」
そりゃあ、それは正論だし、それができたらいいけどさ…とも思う。
(そんな弱気も一喝されそう)
剛の拳はもちろん正論なのだけれども、カドが立つ時もある。
カドが立っても闘い続けられる実力と、メンタルがあればそれももちろんアリだ。
しかしながら…僕はそんなに剛気じゃないから、それはできないんだ。
だからこそ僕は柔の拳で受け流す方法を解説していく。
柔の拳でも、安全にゆっくりとだが前進する方法を。
それがまさに本サイトの表題「人生、ガード前進」の精神だ。
ガード前進とは、モンハンのランスのアクションである。
ガードを固めながら、ジリジリと前進するのだ。
僕は僕と似た人に、役立つ技を共有したい。
きっと、同じく感じている人がいると思うから。
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