2021.11.27 聖帝ZOOMセミナー感想(後編)

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セミナー

11/27に聖帝ZOOMセミナーが久しぶりに開催された。

今回もネタバレにならない程度に感想文を書き残しておく。

本日12/7 23:59までは録画版の再生が可能とのこと。

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前編:あだち先生パートの感想文

後編では聖帝サウザー師匠パートの感想文を書き残しておく。

聖帝師匠の軌跡

まず、今回のセミナーにおいてはこれまで明かされてこなかった、聖帝サウザー師匠のこれまでの軌跡がかなり詳細に語られた。

聖帝サウザー師匠オタであるこの僕は、氏のラジオや白熱教室シリーズ、これまでのセミナーや直接お会いした時の会話から、多くの情報を知っているつもりでいた。

しかし、なかなか具体的な時期や氏がそれらの行動をした時の年齢などが解明しきれず難儀していた。

これまでは推測の域を出なかったのだが、今回のセミナーではその辺りがご本人から詳細に語られて、かなり具体的になった。

そしてこのことは、僕を大いに勇気づけてくれた。

今回の聖帝パートの前半部分の主題「我いかにして赤字を掘りしか」は、実は僕が以前からコッソリ、上記のように研究していた部分である。

私淑する聖帝サウザー師匠が、何歳の時に何を思い、どう行動して勤め人を卒業に至ったのか。

ロールモデルとしたかったし、歳の離れたアニキがどんな軌跡で戦ったのか、とても興味があった。

ネット芸人としてのデビューと、どんなふうに活動してきたのか、僕はVoicy以後しか知らないから、それ以前、2017年以前の氏の活動にも興味があった。

また不動産に関しても、何歳のときに不動産を買い始めたのか。

最初の物件は、その金額は、利回りは、どうやって手に入れたのか、など知りたいことがたくさんあったが、それらが詳細に語られたという点で、今回のセミナーは僕個人としては大変良かった。

「あのサウザー師匠でさえ、5年」

特に「ネット芸人期のただ働き」のあたりは、大変勉強になった。

あれほど才能豊かな聖帝サウザー師匠でさえ、下積みのような期間が5年ほどあって、アメブロそしてVoicyへつながっていったのだ。

このことは、妙に焦っていた僕に安心感をもたらしてくれた。

僕は2018年6月にこのヤコバシというアカウントとしてネットの海に誕生し、約3年でフォロワー1000人になった。

もちろんフォロワーの「数」それ自体はただの数字であり、ここだけを見ても仕方ないということはアタマでは分かっている。

ただ…このペースは遅いのかなと、自分の発信内容には需要が少ないのかなと思ったりしていた。

しかし!聖帝サウザー師匠ほどの才がある人でも、5年かかったのだという事例。これは大きな救いになった。

あれほどの人でも5年かかったのなら、自分が芽が出ないのは特段、気に病むことではないなと。

爽やかな達観を感じて、肩の荷が下りた。

話が少し逸れてしまったが、聖帝サウザー師匠の軌跡を詳しく知りたい!という人にはぜひおすすめしたい。

実業の赤字掘り

ネット芸人に関する赤字掘りだけでなく、実業の赤字堀りに関しても詳しく語られた。

まずは不動産。

最初に購入した区分マンション、有名なリフォーム14ヶ月、客付け6ヶ月、その間、修繕積み立てと管理費でマイナスのキャッシュフロー発生というエピソードは、これまでもサラっとは語られたことがあったと思うが、その詳細が語られた。

しかし、これが純度100%の失敗だったか?というとそうでもなく、そのおかげで2軒目以降に繋がっていく、すなわち1軒目は赤字掘りであったということが語られた。

そして養蜂業や男性用基礎化粧品、ラーメン屋など、聖帝師匠が事業として取り組んでいる実業の数々に関しても、その実態が語られた。

僕らは普段、それらの事業に関しては聖帝師匠のツイッターやVoicyのスポンサーコールの部分で少し聞き及ぶ程度の情報しか入っていないのだが、その内情はなかなかに峻烈であった。

ラーメン屋に関しては、厳しいと、これまでも各所でお話しされてきたので知ってはいた。

しかしセイントグレイル(基礎化粧品)などは順調に売れていても、商売の仕組み上、必然的に起きてしまう問題もあるそうでその点も勉強になった。

大人の形をした子供

そして聖帝パートの後半部分の話題は、これら「事業」を通じて聖帝が発見した

大人の形をした子供アダルトチルドレン」へ移る。

ヒヨコのまま図体だけ大きくなった人々。

「事業を経営する」という行為は、子供にはできない。

作戦を自ら考え、リスクを負い、赤字を掘り、それに耐え、創意工夫で乗り越えるというプロセスは、子供にはできない。

このアダルトチルドレン(以下、ACと略す)が、この日本には数多く存在し、そのACの状態では勤め人卒業など、どだい無理なことであると聖帝は喝破した。

というのも、ここ数年、インターネット上でにわかに流行り出した「FIRE」という単語を振りかざす層が目立ってきた。彼らに対して、聖帝は警鐘を鳴らす。

「FIREや勤め人卒業がただのトロフィーになっていないか?」

それって、ファッションFIREなんじゃないのかね?ということだ。

理想の自分を演じるが故に必要なトロフィーとして、FIREを掲げているんじゃないのかね?という、刺さる人には痛烈に刺さる言葉が繰り出された。

また、本セミナーの概要欄にはこのような一節がある。

だから経営者は少なく稀少で、勤め人は多くて余っているっていう身も蓋もない話なんですがね。

「勤め人は多くて余っている」このフレーズ、僕の心に強く刻まれた。

そう、その通りなんだ。

勤め人は多くて余っているから、買い叩かれているんだ。

ただただ、余っているから。

需給のバランスが崩れているから、買い叩かれてしまうのだと。

「境界線上の人々」

完全なるACでなくても、ACの要素が混じっている人々を聖帝は「境界線上の人々」と呼んだ。

明らかなACは経営者になることなど不可能で、生き方や性格の矯正も、正直難しい。

ゆえに救えないので、捨て置くほかない(と僕は解釈した)。

そしてACではない人は、勝手に事業家になっていくだろうから、こちらも問題はない。

その中間にいるAC要素を内包している「境界線上の人々」。

これはどちらにも転がる可能性がある。

言い方を変えれば、まだ救いようのある層である。

おそらく聖帝師匠のコンテンツを求める人々の多くはこの層に属するであろう。

ACは耳が痛すぎて離脱すると思うし、独立自走できる人は外部からの力を必要とせず邁進できるからだ。

耳の痛い話に、耳を貸す程度の度量と知識があるが、自走まで至っていない層。

それが「境界線上の人々」であり、まさにこの僕が該当する。

そんな僕に渡された処方箋は、なんだか暖かくてほっとするものだった。

ここから先はネタバレになってしまうからできない。

僕も含めた境界線上の人々はきっと、この内容をいつまでも胸に暖めながら、じりじりと匍匐前進していくことだろう。

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