サウザーさん達が宮古島にて麻雀と白熱教室の収録を行ったとのこと。僕も今年のGWに宮古島へ旅行に行ったのだった。その時のことを思い出したので、書き残しておく。
宮古島で感じたこと
- 木曜日が定休日
- 11時~5時の店多い(チェーン店:吉野家でも8:00-23:00)
- レンタカー屋とかも家族経営
- 車が少なく信号も少ない
- たべものが安い
- 道の駅に野菜たくさん
- 農業が盛ん
まず感じたのは、人間がニンゲンという動物として生きている、ということだった。自然界の法則が尊重されていた。太陽が出たら起きて働いて、日が落ちたら飲みにいって、寝る。そんなシンプルな自然の法則が生きていた。
都会に戻って感じたこと
都会は、自然界の法則をいかに破るかという競争をしているように感じる。お店は24時間営業、車はいつも渋滞だ。キャパシティオーバーな人口を抱えているから、満員電車になるし、狭いオフィスに人がぎゅうぎゅうになる。スーパーのレジは長蛇の列だし、昼時の飲食店は行列だ。かなり多くの人数をビルに押し込んでいるのがわかる。まるでミツバチの巣だ。
宮古島は逆だった。電車もない。あくせくしていない。「生活」に重きが置かれている。その生活からにじみ出た成果物を交換し合う、「しょぼい起業」の集合体だった。街を走れば個人の工務店があり、鍵屋さんがあり、農家がある。小さなカフェ、雑貨屋、お土産店。手作りのアクセサリーや帽子、カバン屋さんなど。これが元来の人間の村のスタイルではないだろうか。
過剰な娯楽がないし街灯も少ないからみんな早く寝る。やはり動物としてのリズムが優先されている。無理がない。もちろん観光業や農業がベースだから、商売は自然に左右される。だから、そのリズムに寄り添った生活になっている。
人間も動物
農業や観光地の自然は、地球からの贈り物で、それを使わせてもらって僕らは生きているに過ぎない。その枠を脱しようとして無理してきたのが、ここ200年くらいなのだろう。そしてそれはそろそろ、限界にきているんじゃないだろうか。人間だって、結局は動物の一種類に過ぎない。
だからこそ、えらてんさんのいう「しょぼい起業」に共感が集まっているのだと思う。自然を超越しようとチャレンジした人たちは、10年くらい自然を上回ったけど、結局は無理してたんであって、疲れてきてしまった。ここから先の10年は、いかに無理をしないか、を追求していく段階に入るだろう。そこには過剰な見栄や欲もなく、自然の形に収斂していくのではないだろうか。
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