天下人は天が決める

ライフハック
「天下人は天が決める!」この言葉は花の慶次で豊臣秀吉が述べた名言だ。

花の慶次#23「百万石の酒」(13巻)

原作を読んでいない人に、少しあらすじを。
戦国時代末期、関西の大部分を併合した豊臣秀吉はまさしく天下人だった。そして、関東・東北の諸大名もほとんどが秀吉に臣従し、小田原(現・神奈川県)の北条氏が最後に残った独立勢力であった。この北条氏を滅ぼさんと、それまでの日本史上最大規模の兵力と物資を投入し、豊臣秀吉は小田原攻めを行った。いろいろあって、慶次は活躍し、おつかれ会を温泉(たぶん箱根)で開いていた。
これは史実ではないと思われるが、その温泉での打ち上げには前田家、上杉家、伊達家、真田家と、かなり濃いメンツが揃っていた。
これを見た若き日の真田幸村は「これだけの人材が力を合わせれば、10年で天下統一できるんじゃね!?」とキャッキャしていたところに、一人の、刀傷だらけの細マッチョの老人が入ってくる。
その顔を見て、一同は驚く。
「か…関白様!」
豊臣秀吉が温泉に入ってきた。「10年で天下が取れるか~?幸村~?ん~?」とからかわれ、焦る真田幸村。そして慶次は秀吉に問いかける。「で、ご老体。天下はどうやって取るのかね?」それに秀吉は答える。
「うむ。では、天下人は誰が決めると思う?」
一同「・・・・・・・」
そこでタイトルの名言が飛び出す。
天下人は天が決める!
この俺とて初めから天下を目指しておったわけではない
俺は信長公に憧れた…そして命賭けで信長公を追いかけた
そして信長公が亡くなった…
その時 まわりを見渡せば 俺より力の有る者がいなかった…
ただ それだけのことだった
じゃからお主らが十年遅く生まれてきたことも すべて天が決めたことなのじゃ

天=自力ではどうにもならないもの

この言葉は一見、表面的には秀吉が「自分は天に愛された天才だ」と、おごっていると受け取るかもしれない。だが、実は逆で「自分の力だけでなく、天が味方しただけなのだ」という謙虚な意見と捉えることもできる。ここでいう「天」とは、人間の力の及ばない事象のことを指す。「神」と似た概念だ。
秀吉は信長の後継者争いに、努力と知略を用いて勝ち抜いた。明智光秀、柴田勝家との合戦や、その後の政略でも勝ち抜いて天下人になった。しかしその時は、慶次や伊達政宗が大物になる前であった。その運命の巡り会わせを、秀吉は「天の意思」だという。
それはもちろん、人に操作できる事象ではない。その時の巡り合わせ、偶然すらも天によって仕組まれていたことなのだと秀吉は語る。

売れる営業マンは天が決める

営業マンにこれを置き換えてみる。
僕の営業としての功績は、努力もあったけれど、運によるところも大きかった。振り返ると、自力だけではなく偶然がいくつも重なっていた。お客様が欲していたときに、タイミングよく飛び込み営業をしたので売れた。ビッグプロジェクトのときに偶然、僕が担当だったりした。偶然出会った人が、実はスゴイ人脈を持っていたりもした。営業という仕事は運の要素が強いと思う。
※幸運を幸運と認識して掴めるかというのはメンタル面の技術でもある。

「天」は客観の象徴

天というものを考えた時に、人は客観的になれると思う。
売れた営業マンは、天に愛されたのだと思い、天から見放されないように気を引き締めるべきだし、売れなかった営業マンは、天に愛されるべく努力や工夫を考えるべきだろう。
「天下人は天が決める」というのは一見、驕りにも見える。しかし実は、とても謙虚な姿勢だ。天が決める事であるから、自分の力ではない、自分だけではどうにもならないという謙虚な姿勢である。人間は、成果が出るとついつい「自分の努力の結果だ!俺は天才だ〜!」と思うのだが、実は運や偶然、周りの人に助けられている。
このことを忘れない言葉が「天下人は天が決める」なのだ。
たまに、こんなに実力があるのにどうして世の中に評価されていないんだろうと思う人がいる。しかしひとたび、見出されると一気に有名になることもある。これこそ、天が決めることなのだと思う。その時が、その人が発見されるタイミングだったということだ。

ネガティブな「天」

僕は不幸に見舞われた時も、天の意思と考えている。そしてこれは天から与えられた課題なのだとも捉えるようにしている。何らか学んで欲しいことがあるから、天は僕に試練を与えるのだ。
僕は交通事故を起こしてしまったことがある。これは複数の悪条件がいくつも重なって起きた事故だった。
具体的には
  • 夜間
  • 僕がゴルフ帰りで疲れ気味
  • 後続に煽られた状態で急いで右折
  • 全身黒ずくめの自転車
  • 無灯火
  • 運転者は老人

この自転車と接触した。乗り手は老人で骨折してしまった…という不運の連鎖であった。

僕の不注意が原因なのは間違いないが、もし昼間だったら気づけたと思うし、もし灯火していたり、白い服を着ていたら気づけた可能性は上がる。僕が煽られていた、そのタイミングで偶然にも自転車が来るというのも天の采配だったのではないだろうか。もはやそう思う他ない。こういうネガティブな「天」も存在する。だがこの不運も、僕に何かを学べという意味で天が与えた試練だったのだと僕は捉えている。

天との付き合い方

天は幸運も、不運も人間にもたらす。人智の及ばない領域で、人の努力を無視して出来事を発生させる。だがそれは万人に共通のことだから嘆いても仕方がないことなのだ。
そんな天とうまく付き合うにはどうすればよいのか。僕なりの答えとしては天はそういうものだと知っておくことだと思う。アンコントロール(操縦不能)なことに対し、すり減るのは得策ではない。これはライフハックになる。
天は気まぐれだ。幸運もくれるし、不運もくれる。今回は幸運をくれたんだな、不運をくれたんだなと思うことで、無用にストレスを感じなくて済むようになる。今回が不運でも、次は幸運かもしれないと思うことで、また前向きに頑張れる。幸運が続いたら、気を引き締めよう。不運が続いたら、幸運をじっと待とう。その時には、自分ができることをやっておいて決戦に備えよう。
なんだかスピリチュアルな内容になってしまったが、人類が古来から信奉している「天」「神」について、ライフハック的な視点から考察した。

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