最近、営業を極めて独立し、会社を立ち上げた人(社長)と仕事で絡むようになった。この人は、営業を極めし者だった。そんな人が、営業職を極めた集大成として一国一城の主になった。それでも….そんな人であっても「営業マンの限界」からは逃れることができていなかった。
社長の経緯
その人は新卒で大手の建築関連の会社に入り、営業一筋でバブルと平成不況を駆け抜けた。残念ながら、その会社には親会社があったので、社長は天下りで決まってしまうのだが、専務・営業本部長まで昇りつめた。そして65歳まで勤めて、会社の規定により退職。
しかし引退を惜しむ声が多く、コンサル・商社の会社を立ち上げたのが4年前ほど。今では数億円の売り上げと、数名の社員を雇って健全経営している。
弊社(僕の勤務先)は、その会社の商品の1パーツを担う材料を提供するべく開発している。僕もこの仕事が決まると、2019年度の新規開拓はオワリである。ちゃんと仕事しているヤコバシであった。
モーレツリーマン武勇伝
この社長は、休日は現場に行き、平日は接待にまみれ、また休日はゴルフ、遠方出張、朝帰りで家庭顧みず、銀座で接待、料亭で接待、と絵に描いたような昭和のモーレツサラリーマンだった。立場もあったから、接待交際費も何百マンと使えたという。実際、かなり大きな新規開拓と、画期的な商品のアイディア出しをした敏腕営業マンだったので、業界では顔が広いようだ。
彼の引退に際して、それを惜しまれて立ち上げた会社が成功しちゃうのだから、営業マンを極めた人と呼んで差し支えないだろうと僕は思う。レジェンドオブ営業マンだ。
僕の身の回りでも、新卒入社して出世して営業本部長(常務)という人はいる。しかし退職後に独立起業して、しかも成功している人というのは少ない。
営業マンの限界
だが、打ち合わせに同席していて僕は感じた。こんな生きる伝説みたいな営業マンでも、「売ること」しかできないのだ、と。僕や、他のメーカー営業マンに「こういうのを、このくらいの値段で作ってよ」しか言えないのだ。それを聞いている僕もまた営業マンなので、自社の技術部と生産部に「作ってよ〜」としか言えない。マヌケな伝言ゲームなのだが、でも実際に、それしかないのが営業マンの現実だ。
ちなみに現在では技術的なハードルが高くて、チャレンジしているけど性能が不足、という状況だ。またコストもなかなかにきつい。だから、「作って」という社長からのお願いに、応えることができていない。もちろん、技術部も頑張ってくれているのだが、まだできていない。頑張ってほしい…そう、僕と社長は「技術部、がんばって!」と願う他ないのである。これが僕が感じる営業マンの限界だ。
「売る」ことはできるが「作る」ことはできない。それが営業マンの限界だ。技術部が「無理です」と言ったらもうそこでエンドだし、生産部が「そんなの作れないよ」とか「今忙しいから、1年待ちになるよ」と言ったら、もう営業マンには為す術がないのである。もちろん、強権を発動して従わせることはできるかもしれないが、何度もできることではないし、そもそもいくら頑張ってもできないことはある。
0→1と1→10
だから…社長も、僕も、運命を技術部と生産部に握られているようなものだ。僕はまだいい。雇われ人だし、他の商売で会社が儲かっているから、この案件がポシャっても社内で「残念だったね」で済む。だが社長は違う。これがコケると結構大きなダメージになる。だから必死に僕らをもてなしてくれるのだが、その姿は僕に教えてくれた。
いくら営業マンを極めても、こうなるしかないのだと。「作る側」ができないと、それに依存していたら自分のビジネスをコントロールできないのだと。もちろん、販路を確保するのは重要な仕事だ。販路がなければ、いくら良い製品でも売れない。だが、その程度なのだ。
売る側(営業)は1を10に増やす仕事。作る側(技術)は0から1を作り出す仕事。その住み分けができていると言うだけの話なのだけれど、そこには大きな差がある。それを僕は今回の一件で感じた。
「自分の商品を作れ」サウザー師匠の教えである。
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