「好きなことで生きていく」の正体

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雇われ人卒業

「好きなことで生きていく」

なんとも聞こえの良い言葉だ。そして、これに挑んで、実現した人たちもいる。そんな人々に憧れて、好きなことで生きていこうとする人も出てきているが、どうやらうまくいかない例も多いようだ。

僕もこの言葉についてこの4年ほど、ずっと考えてきた。ようやくその研究が成りつつあるので、共有したい。

「好きなこと」の正体

まず「好きなこと」の正体から考える。好きなこととは、なんだろうか。まず聞かれて思いつくのは、趣味だろう。サッカーが好き、ゲームが好き、お酒が好き、などなどだ。明らかに自分が「好きです」と言えるものだ。

僕もゴルフが好き、登山が好き、マイクラが好き、などの「好き」がある。当初は、これで生きていくにはどうすれば?と悩んだものだった。ゴルフが好きなら、資格を取ってインストラクターになるのか?今から?

登山が好きなら、登山家になってスポンサーを募るのか?難しいと思う。正確には、登山家がどうやって稼ぐのかわからない。

つまり「職業」にしようとすると途端に難易度が上がるということに気が付いた。

もし僕が小学生だったら、そこからプロゴルファーも目指す余地はあるだろうが、今はもう30歳を超えた身、無い物ねだりをしても仕方がない。

そこで僕は気が付いた。ゴルフが好き、登山が好き、というのは「焼肉が好き」「ケーキが好き」と似ているニュアンスの「好き」だったということに。つまり「消費する」タイプの「好き」なんだ。だからこれを職業にすることが難しいのである。

では、そうでない「好き」とはなんだろうか。そのことを考えた時、僕の脳裏にある言葉が蘇ってきた。

無意味さの忘却、苦にならぬ徒労。まさしく遊興だ。

この言葉はFate/zeroにおいて英雄王ギルガメッシュ先生が述べた名言だ。そして英雄王は別の場面でも、

遊興は愉悦を導き、愉悦は幸福のありかを指し示す

この2つの名言を合わせる。

無意味さを忘れてしまうようなことに没頭していると、楽しくて、結果的に幸せを感じられるぞ、と英雄王先生は言う。また別の場面でも

自覚のある関心はただの執着でしかない。もっと無自覚な興味にこそ注目するべきだ

この部分は大事な概念だと思う。自分が「好き」と認識しているものは、執着だ。「僕はこれが好きなんだ!」と自分に暗示をかけているとも言える。

そうではなくて、自分が無意識に取っている行動に着目すべきだ。具体的には、お金と時間を費やしていることに着目しよう。ついついやってしまっていること、とか、お金に糸目をつけないことなどだ。

それが、本当の「自分が好きなこと」の正体だ。

小中高時代のヒント

前項で、無自覚な「好き」こそが大事だと説明した。しかしながら、社会人だとなかなか自分の時間がないということもある。そのときには、自分の幼少期や小中高時代に夢中になっていたことを思い出して欲しい。

僕はテニス部だったけれども、今思うと「やらされてる感」があったので、無意識に夢中になっていたことではないと思う。学生時代は、時間はたくさんあるから、自分の興味関心に素直に時間を使っていたはずだ。

僕は思い返すと、小学校の頃、自由帳に漫画を描いて、仲間内で回し読みして喜んでいた。別に大層な漫画ではなく、先生や友達をパロディ的にイジった内容の漫画で、内輪でしか盛り上がれない、逆に内輪だとメッチャ盛り上がる、そんな漫画だった。退屈な授業中に、ニヤニヤしながら夢中で描いていたことを思い出す。

受験期にも、気分転換と称して、プリントの裏にそういう漫画を描いて友達に見せて喜んでいた。夢中になって執筆して夜中の2時になってたことなんかもあった。でも全然、苦じゃなかった。

まさに無意味さの忘却、苦にならぬ徒労だ。僕の好きなことはこれだったんだと思う。

しかして、では漫画をまた描くのか?というほど短絡的でもない。要するに、自分の手で作った作品を、誰かに喜んでもらいたい、そしてそれをみて自分も喜びたいんだというエッセンスが大事だと思う。今こうしてブログを書いているのはそういうところに立脚していると気が付いた。そしてこれは、僕の話だ。みなさんにも、それぞれの好きなことがあると思う。思わず徹夜しちゃったこと、優先してしまったこと。

まとめると、会社とか給料とか関係のない、学生の頃に夢中になっていた行動を思い出して欲しい。無意味だけど夢中になっていたことがあるはずだ。それを掘り起こして欲しい。

消費から生産へ

僕は『ブログ飯』を読んで、ブロガーという職業というか、生きかたを知った。ブログにPVが集まれば、広告を貼れたり、企業からオファーがあって記事がお金になる、という稼ぎかただ。その中で、僕が最も勉強になったのは、自分の好きなことに関して、「消費」だけではなくて「生産」に変換するという部分だ。

消費とは、文字通り、「あ〜楽しかったなあ!」で終わらせてしまうことだ。そうではなくて、その遊びについて詳しくブログを書いてみたりすれば、それは生産に変換できる、ということだ。ブログ飯が発刊された頃は、まだ動画がそこまで流行っていなかったから、今ではyouttubeに取り組む、なども該当する。

手軽なのはブログだが、もっと重たいものだと、雑誌への寄稿や、同人誌の発刊などもあるだろう。どんな形であれ、外に対して発信することが「生産」的行為なのだ。

「元気玉」式の商売

そうして、自分が夢中になるようなことを見つけて、それについて発信を開始する。すると、興味関心を同じくする同志が、少しは、出てくると思われる。どんなにマイナーな趣味でも、共感してくれる人はいる。もちろん、多くのプレイヤーがいたり、同好者がいる市場の方が良いかもしれないが、その場合はライバルも多いことを意味する。

さてこれをどう収入に結びつけるのか、というと、それはサウザーさんが言うように「商品を作る」ことなのである。一昔前、まだプレイヤーが少なかった時代にはアフィリエイトだけでも十分な収入が得られたかもしれないが、2019年の現在は素人には難しい状況だ。アフィリエイトはつまりは広告ビジネスで、売り物をクライアントに依存しているビジネスモデルだ。広告なので、クライアントの広告費が減ればチャンスは減るというリスクもある。不況に弱い。

そうではなく、サウザーさんの言うように、独自の商品を作り、それを売るということが、利益面でも安定性の面でも優れている。

では商品とはどう作って売れば良いのか?という点に関しては「元気玉」方式が今後は支持されていくだろう。もちろんこれは、サウザーさんからの受け売りである。サウザーさんいわく、原価が明らかにかかっていて、カンパしてもらわないともう次回作は作れません!というもので面白ければ、同志がカンパしてくれるのだという。サウザーさんの白熱教室もそのようにスタートしたそうだ。

出張費をかけて、機材を揃えて、ギャラを払うから実現すること。だから価値がある。自分一人で語るものは、どんなに良い内容でも、「それって経費かかってないよね」と人は感じてしまい、お金を気持ちよく払おうとは思わないとサウザーさんは言う。確かに、僕もそう感じる。

「みんな!オラに力を分けてくれ!そしたら次回作が作れっから!頼む!」という元気玉方式、かつ内容が値段以上のものであるならば、同志は半分はカンパの気持ちで、ガンバレ!という気持ちで買ってくれるだろう。

お客に得させるから繁盛する

もちろん注意して欲しいのはクオリティだ。しかしここは「自分が夢中になっちゃうくらい好きなこと」であるから、情報蒐集したり、実践することは苦ではないだろう。これを発信する形で、それに対価をつける。値段<クオリティであることが必要だ。

よく、美味しくて安い食堂が流行るが、それはこの値段<クオリティで払った以上の価値があり、お客さんが「お得だな」と感じるからお客はリピーターになるのである。もし美味しくても、値段が高ければ「値段なりだな」と思い、クレームはないだろうが強いリピートもないであろう。

まとめると、

自分が寝食を忘れちゃうくらい、マニアックで、詳しいこと、好きなこと。それに没頭した末に得た知見は同志にとって、もしくはこれから学ぼうとしている人にとっては価値のある情報であろう。それを様々な方法で発信して、さらに経費をかけて高クオリティの商品にして、元気玉としてカンパを集める。これが僕が感じた現環境での最適解だ。

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