気力。
僕はこのようにブログを書くようになってからその存在を強く感じるようになった。
ブログを書くこともそうだし、もちろん自前の電子書籍を書くのもそうなのだが、気力がなければ紙やキーボードに向かうことができないと気がついたからだ。
もし、このブログを読んでいる人で、将来に向けて何かしたいとは思っているけれども、具体的アクションが起こせずにいる人は、気力が影響しているかもしれない。
気力がないとどうなるか
まず、気力がないとどうなるのかを思い出してみよう。
簡単にいうと
「あ〜何もやる気起きない」
という状態である。これは誰しもあることだと思う。
この状態においては
- 「ブログ書くか」
- 「勉強するか」
- 「筋トレしよう」
という能動的な意欲は湧いてこない。
気力が枯れている状態だ。
できることといえば、
- YouTubeやテレビを観る
- 漫画を読む
- 音楽を聴く
というような受動的な行動を選ぶのみである。
気力がなければ、オーディオブックを聴くという、やや「勉強」の要素が入っている行動も厳しい。
活字の本を読むのも実は気力を要する。
風呂に入るのすら厳しい。
もしくは食べる、飲むといった行動や、さらに気力がなければボーッとする、寝る、等の活動量の少ないことを選ぶようになるし、実際にそれらしか選択できないときもある。
簡単に言えば「がんばれない」ときである。
僕はこれまでの人生で、この「がんばれない」は自分が怠惰な性格だからなんだと、自己嫌悪に陥ることも多かった。
しかし注意深く検証していくと、単に性格や気質の問題だけではないことに気がついた。
この状況は、なるべくしてなっていたのである。
体調と気力の関係
検証を続けていく中で、まず気がついたのは「体調」との関係だった。
もちろん体調が悪いと気力もなくなる。
身体がだるい、熱がある、腹が痛いなどのときはもちろんのこと、疲れている、寝不足であるというフィジカル面での不調もまた気力には影響する。
眠いときはそりゃ眠いのだ。
心身はつながっている。
後述するが、気力を裏支えするためにはフィジカル面での充実が必須で、そのための処方も後半で紹介する。
当然、オナ禁も大切だ。
つまり気力がないのは多くの場合、自分がグータラなのではなくて、フィジカル的に余裕がないからだ。
身体と脳が
「コンディション悪いので回復のため休みます!」
という指令を出しているから、能動的な行動が選択できないのだ。
このことに気が付くのがまず第一歩と言える。
自分の気質を責めすぎないことも大切だ。
気力とフィジカル、オナ禁
先月、オナ禁に関するレポートを連載した。
まず「チャージ」の概念を解説した(オナ禁研究「チャージ」編)。
チャージとは、オナニーによって失った精液や脳内物質を補充するために身体が休息や栄養素を求める反応であり、これにより眠気や倦怠感、無気力が発現すると述べた。
これは脳内物質、ホルモンの作用であると考えられる。
射精という、遺伝子のバトンをつなぐ、生物としての大技を放ったのである。
その回復に休息と栄養素を必要とするのは自然なことだ。
そして雇われ人卒業のために副業や勉強などの能動的行動をするためには、多めの気力の残量を要することを、この記事で述べた(オナ禁研究「副業」編)。
「雇われ人」という、ある意味、思考停止しても日々出勤して、言われた業務・作業をこなしていればひとまずは死なないという状況にいると、そこから脱しようとする必要性は、薄まっていく。
ゆるふわホワイト、もしくは適正な拘束時間&給与の雇用条件の場合に、この傾向は現れる。
激務ブラック薄給であれば、その危機感から気力を振り絞ることもできるかもしれないが、特にゆるふわホワイトにいると、「まあ今のままでもいっかな〜」という気分になってくるのだ。
先のオナ禁研究「副業」編で述べたのは、そのような環境にいる人ほど、気力の残量を多くして、ある意味で「やらなくても死なない」という副業に邁進せねば、現状の打開はない、ということだった。
そのために、オナニー”ごとき”で脳内物質と体力を消耗してはならないのである。
気力の最大と消耗
さてここまでで気力は体力とリンクし、その体力は身体的不調と、オナニーによる消耗が要因として大きい、と説明した。
ここからはこれらをクリアしたとして、その他の要素による気力の消耗について僕の体験談を述べていく。
まず、僕たちは夜寝る。そして翌朝、起きた時に気力が最大値になっている。
基本的には、この朝イチをMAXとして、あとは時間経過とともに減るのみである。
途中の回復は、昼寝や入浴などでできなくはない。しかしそれでも、MAXには回復できない。
日中は、基本的に減るのみであるということをまず知っておこう。
そして朝イチに最大だった気力は、時間と共に自然減していく。
正しくは、日中に行う行動や、外界からの刺激によって、減る。損耗する。
僕の検証によると、この損耗は「気力」の名の通り、精神面での働きによって大きく減ることがわかった。
ただし肉体を起因とする消費は、よほどの運動をしなければ、大きく差はないのだ。
つまり生命維持活動のための気力消費は、ホワイトカラーのワーカーにとっては、ほぼ毎日一定であると考えられる。
精神面での損耗がカギ
肉体的な、フィジカル的な活動は、苦痛を得るほどでなければ気力をあまり減らさない。
「生きる」つまり生命を維持しているだけでも基礎代謝として気力を使うが、それには大きな差がないしコントロールも難しい。
例えば暑かったり、寒かったりすると減るし、とても空腹になっても減る。トイレを我慢しても減る。
僕らが生きていく上での何らかの生理的なストレスを感じると気力は減る。
しかしながら、このことは僕らが動物である以上、避けられないことでもある。
避けられぬ、肉体面での消費に気を配っても限度がある。
対して精神的な消耗はその規模が大きく、また傾向と対策があることに気がついた。
その正体と対策は次の記事で解説する。
→損耗編
つづく
コメント