僕は昨年末くらいから、インフルエンサーと呼ばれる人たちをうっとおしく思うようになっていた。彼らのツイートや、ブログ、動画を見るたびに、イヤな気分になっていた。当時は、その正体がわからなかったので、彼らのアウトプットにイラついてしまうのは、
- 僕が図星を突かれているから
- 考え方が未熟だから
- 彼らより遅れていて周回遅れの気持ち
と思っていた。でも、何日か思いを巡らしていく中で、それは違うと気づいたので、自分なりの意見を述べる。
彼らの間では、「1日30ツイートしろ!アウトプット増やせ!」という教えがある。これは露出が増えないと人に注目されないという意味と、アウトプットのためにインプットをしなくてはいけないよという意味があると推察する。しかし、見せられる方、聞かされる方にとってこれはうるさいとしか感じない。
彼らは量を意識しているので、質は二の次だ。それは仕方ないとは思うのだが、そんな粗悪な量産品を見れば見るほど、次は見ないぞという気持ちにさせることを彼らはわかっているのだろうか。それなのに、タイムラインに頻繁に登場、新着動画は埋め尽くされていく。僕も当初は見なければいい、スクロールしてしまえばいいと思っていたが、何度も目に入ってしまっていることに気がついた。これがインフルエンサーの狙いだ。圧倒的な物量で攻める。目に触れる回数を増やす。ファンは喜ぶし、中立派も興味を持ってくれるきっかけになる。彼らはこれを企図して、大量発信を続けている。
同時にインフルエンサー達は、世の中の多数派を煽る。煽るとは、挑発すると言い換えられる。挑発的な文言、画像、サムネイルで世の中を挑発する。過激な言葉を使いながら。普段の生活で、過激な言葉を目にする機会は少ない。僕らにとって過激な言葉は異質だからこそ、それらのサムネイルに注目をしてしまう。彼らは、人間のこの性質を知って、うまく利用している。僕らはワナにハマっているのだ。
注目してもらうことが彼らの商売のスタート地点だから、彼らも必死だ。この煽るテクニックは研究され、今では多くの商材が出回るに至った。煽れば、人はやってくる。実際に効果があることは否定しない。ただこの方法は、劇薬みたいなものだ。長くネットと関わっていると、慣れてくる。慣れてきた人が増えて、劇薬の強度と量を増やさなくてはいけない段階になってしまったので、近年は過激な煽りが目に余るようになってしまったのだと思う。
このように過激な言葉と、圧倒的な物量で僕らの目と耳に飛び込んでくるインフルエンサー達は、さながら自分の名前を連呼しながら住宅街を走り回る選挙カーのようだ。しかも最近は、インフルエンサーになりたいやつが多すぎて、選挙カーが集団で走り散らかしている状態。
なぜ彼らはそんなに毎日一生懸命、選挙カーで走り散らかしているのか。走り散らかさなくてはならないのか。それはインフルエンサービジネスの実体が、ネズミ講だからだ。自分より知能の低い相手をうまく誘導して、自分の商品を買わせるためだ。有料note、サロンの月会費、コンサル…
少し経験がある人なら、有料の価値がないとわかるけれども、経験がない人は買ってしまう。サロンに入ってしまう。何かが得られると信じて。インフルエンサー達にとってははそれが生活費を稼ぐ手段だから、やめられない。立ち止まれない。止まったら死ぬ。泳ぎ続けないと死ぬマグロと同じなんだ。
だから彼らは常に、自分より知能の劣るものを探し続け、募集し続けている。選挙カーで大声を出して走り回りながら…
彼らには技術がある。自分をすごいものに見せる技術だ。自分を綺麗な包装紙で包んで、ネットという市場に出品している。中身はしょぼくても、包装の技術が高いので、やはり知能の低い人は買ってしまう。経歴を盛り、自分をキャラ付けし、いわゆるセルフブランディングをして、自分を売り物にしていく。そんな彼らは包装紙がキラキラと輝いているから、人を惹きつける。こうして毎日、一生懸命に自分を飾り、人々を挑発しながら選挙カーで走り散らかし、知能が低いものから集金しているのがインフルエンサーだ。
共通しているのはすべての行動がお金につながっている点だ。
これが露骨に透けて見えるのが人々を不快にさせる原因だと思う。別にお金を欲するのは悪くないのだが、人をテクニックでうまく騙して、集金してやろうというギラギラした「気」が漏れ出ているから、気持ち悪く感じてしまうのだ。もしネットでは1円の広告費もなくて、noteは課金ができない仕様になり、サロンは作っても良いが集金はダメという法律があったならば…こんなに選挙カーは走り回らないだろう。結局、カネのためにやっている連中が多すぎて、今のインターネットはおかしくなってきているのだと思う。またそういう者達を見るのに、人々は辟易としている。
インフルエンサー達は、実はしんどいんだと僕は思う。こんなに毎日努力して、人を誘導しないと稼げないのだ。でも一度始めてしまったから、仕事もやめて専業になってしまったから、後には退けない。退けないから、さらに一生懸命、集金をしようと選挙カーで走り回る…
そう彼らは、
インフルエンサーという病にかかっている。
もう舵を切ってしまっているから、戻れない。走るのをやめてしまったら、収入が減ってしまう。それを見せないように、隠して自分を飾るために毎日毎日、人々を煽って挑発しながら、ネットの海を一生懸命に選挙カーで声をはりあげながら走っている。そう考えると、なんと滑稽で、かわいそうな存在なのだろう。もし僕も、すぐに会社をやめてしまっていたら、彼らのように退くことができなくなっていただろう。
インフルエンサーという生き方は、彗星のような生き方だと思う。自分を燃やしながら進んで、長い尾をひく。その尾は美しいから、多くの人が魅せられる。しかし最後には燃やすものが無くなって、消滅してしまう。地上でそれを見ていた人々は、ああ、彗星が消えた、と家に帰っていく。今は、彗星の尾の最後の散り際を見ている状態だと思う。
僕のような末端の、知恵のない者がこのことに気づいた。それがもう、彗星の尾が終わりに近づいていることを示していると思う。
終