人の大将たる器

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日記

最近、人の上に立つ人の資質が問われる案件をよく目にする。それについて僕が聞いてきた事、感じてきた事を共有したい。

学生時代のリーダー

僕たちは小学校から組織での生活をしている。部活動はもちろん、文化祭や合唱コンクールなども組織で行動する。大学でもサークルやゼミという単位で組織活動をする。僕は何かと部長や委員長、ゼミ長など、いわゆるまとめ役を任されることが多かった。飲み会の幹事も、結婚式の余興もたくさんやった。自慢に見えるかもしれないが、全然そんな事はない。大変な事だらけ、失敗ばかりだった。孤立することもあった。特に学生時代までの活動は、カネが絡まないし、クビもないから、とても大変だった。若かった僕は声を大きくしたり、自分が他の人の分まで作業したり、本当に苦労した。だからこそ知っている。リーダーというのはラクじゃないんだと。

僕は学生の頃、リーダーをこう考えていた。

  • メンバーよりも優れた知識・技術を持つ
  • 率先して働き、メンバーに背中を見せる
  • リーダーはメンバーを助け、導く

僕はこれを実現するべく、勉強し、率先して働き、負担をかぶり、道を示そうとした。それをわかってくれる仲間もごく少数いたが、大半のメンバーはそうではなかった。

  • リーダー(僕)に丸投げする
  • リーダーを独裁と非難する(代替案はなし)
  • 自発的に行動しない

とにかく自発的に行動する人が少なく、あわよくば面倒な作業はやらないで済むようにしている人ばかりだった。でも、理解はできる。なぜならカネも絡まないし、ぶっちゃけやらなくても良い事ばかりだからだ。面倒事を避けたいという気持ちは理解できる。

僕は当時、リーダーである自分が何の強制力も持たないことに苦しんだ。僕が良かれと思って進めていた事を独裁と非難する人もいた。正直、とても悲しかった。

そうやって非難してくる人は代替案もないし作業もしない。文句を言うだけの人たちだった。一度、僕も若かったから彼らに屈して、彼らの言うやり方に迎合してみた。つまり話し合い&多数決で企画や役割分担を決める方式だ。だが何も進展せず時間だけが過ぎていく。当然、成果もでず、結局僕が短い時間で指揮をとり、自分がものすごい作業負担をして挽回してなんとか完成にこぎつけた。「ガード前進」した。

強制力のない組織なんて、つまりこういうことなんだ。僕は絶望した。でも社会人になったら、仕事なら、クビにもできるしカネが絡むから、強制力があるはずだと思っていた。

カネは万能ではない

大学を卒業し会社員になった。僕は部下になった。僕は上司の立場、リーダーの立場がわかるからメンバーとして貢献する気持ちがあった。だから自然に協力をしていた。

しかしやはり、非協力的なメンバーもたくさんいた。人事評価というエサがあるから、学生時代よりはまだマシだが、最低限のことしかしていなかった。日本の法律では、正社員を解雇することはとても難しいから、明らかに手を抜いていた。手を抜いたもん勝ちという雰囲気すらあった。こういうメンバーを束ねるリーダーは本当に大変だ。

とはいえ、手抜きする社員だらけでも回るように会社が設計されているから問題はなかったのだが、これでは現状維持しかできず成長はない。僕が学生時代に思っていたカネの強制力は、アメリカならともかく、この日本においてはほぼないに等しかった。

そしてカネがなければ強制力も消える。当然である。

大将たる器

学生時代とは違い、僕も部下となり多くの大人と接するようになった。直属の上長、役員をはじめとして、協力会社の社長、現場の職長、工場長など。いろんなリーダーがいたが、僕も部下の立場になり、気付いた。カネの力を凌駕する力があることを。そしてこの力だけが、多くのメンバーの自発的な行動を促せる。

僕はこの力のことを「大将たる器」と呼ぶ。もっと適切な言葉があるかもしれないが、今はこれしか思いつかない。この大将たる器は、先天的に少数の人が持つ。もしくはこの人に触れることで後天的に身につけようと努力して獲得する。

大将たる器とはこの2点だと考える。

  • 思いやりの優しさ
  • 分け与える心

思いやりの優しさ=精神的な主従契約

まず、思いやりの優しさとは、自分以外に関心を持ち、手を貸せる事だ。

人は基本的には自分が一番可愛い。当たり前である。そして大半の人はそこから出ないし、出られない。これは責められる悪徳ではなく、動物として当たり前のことだ。自分が生き残るためには自分のことを最優先に考えるというのは、動物が持つ本能だからだ。

だが、そこからあえて出て、他人に対し「調子はどう?」「困ってないか?」「大丈夫か?きつくないか?」と自然に思い声をかけられる人。そして実際に手を貸してあげられる人。こういう人は大将たる器がある。これは大変稀有な才能だと言える。

重要なのは他人に対してという点。家族や兄弟、仲の良い友人にはこういう声掛けもできる人は多い。だが、薄いつながりの他人、同僚、部下に対しこのような心配りができる人というのは少ない。特に、年齢・職務上で上位にある者にはこの精神がないと下位の者はついてこない。

この「思いやりの優しさ」という精神には、カネが絡んでいない。カネがかかっていない。ただ相手を気にして、心配して、カネがかからない範囲で手を貸している(時間は使う)。だがこの気持ちを向けられた人は、大変うれしく感じる。あなたにも経験がないだろうか。気にかけてもらっている、見てもらっている、心配してもらっている、と感じる経験を。そして本当に困っている時に手を貸してもらえたら大変な恩義を感じるはずだ。本当にありがたいなと。

この恩義は溜まっていく。一定の水準が溜まると精神的な主従契約が結ばれると僕は考えている。いわゆる「貸し・借り」に近いものがあるが、リーダーとメンバーという社会的には上・下の関係であることに注目してほしい。もしくは職務上の上下でなくとも、年齢的もしくは実績的な上下でもよい。なんらかの形での上下関係において、上位にいる者が下位の者に対して示す思いやりの優しさの心、これが個人の間での精神的な主従契約になる。

大将たる器を持つ人は、この個人の間での精神的な主従契約をとても強いレベルでたくさん集められる人だ。

  • 「あの人の頼みなら断れないな」
  • 「あの人の期待は裏切れないな」
  • 「あの人のためなら頑張ってみようかな」

そうメンバーもしくは下位の者に自然と思わせられる力。これが大将たる器に他ならない。僕はこの主従関係を工事現場の職長や、工場の工場長に見てきた。優れた職長や工場長は、荒くれ者集団である職人や作業員達をこの力でまとめ上げていた。荒くれ者集団だから、頭ごなしに命令しても反発するし、最悪、怒って現場に来ないとか途中で帰るとか、余裕である。実際、大将たる器がないリーダーはこういう事を何度も起こしていた。

優れたリーダーは、日々の仕事や生活の中で、この個人の間での精神的な主従契約をとても強く、多数作り上げている。だから、多少の無理に直面しても

「しかたね〜なぁ〜工場長のためなら、いっちょやったるか!」と気炎を発して取り組む。これこそが大将たる器が持つ力なのである。

分け与える心

先述の個人の間での主従契約だけでも十分に大将たる器があるのではあるが、リーダーの力をさらに強力にし、長期的に継続させるのが分け与える心だ。

僕がかつての上司に教えてもらったリーダー論をご紹介しよう。

Q.自分がリーダーの、3人のチームがある。突然、5個のみかんが手に入った、どうやって分ける?

 

若い頃の僕「まず1つずつ分けて、残り2つは等分にカットしたりジュースにして飲むとか…ですかね?公平になるように…」

上司「普通はそう考えるよね。でもリーダーはそうじゃないんだ。

自分が1つで、2人に2個ずつ。これがリーダーなんだ」

 

電撃が走った。すごく納得して、感動した。

当然、この2人は「いやいや!ここは等分に!」と言うだろう。しかし、上位にいるリーダーが「いや、俺は1つでいい。俺がいいと言ったらいいんだ。持っていけ!」というから、この2人はますますリーダーを尊敬し、付いていこうという思いを強くする。前項の個人の間での精神的契約と同じ概念だが、これは収益を分配する場面で必要になる考え方だ。人は霞を食べて生きているわけではない。皆、生活のために働いている。その取り分を増やすべく、働いているのだから、それを気にしてくれるリーダーを信頼するのは当然のことだ。

別に、経営者はすべからく利益を労働者に分配せよと言っているのではない。真に尊敬され、思わず人が付いていくリーダーはこういう人ですよと言っているだけだ。別に分配せず、ルール通りに配るのでも何ら問題はない。報酬に不満なら人は辞めるし、割に合うと思えば続く。だがそこまでの関係で、それ以上の精神的な主従、いわゆる忠義は発生しない。組織が傾いたら離れる。

身近な例で言えば、飲み会で後輩や部下に奢ってやる行為。これは立派な分け与えの心だ。社会人になり、それなりの立場にある人ならば収入は一般社員よりも多いはずだ。そして飲み会は個人的な集まりなのだから、職務上の責任は何もない。等しくワリカンで何の問題もない。だがここで、分け与える心を持っている人は、多めに会費を払う。多めに払って、部下や後輩の負担を少なくするという配慮をする。これが部下の心を打つ。誰だって知っている。自腹だと。だからこそありがたいなと思うのである。さらに2人で飲みにいって全オゴリされたら、かなりの恩義を感じるだろう。こういう個人間での恩義がたまっていくと、個人の間での精神的契約はさらに強固になる。だからこそ、部下は上司からの「お願い」を聞いてくれるようになるし、自発的に行動をするようになる。

ただし、これは1つ目の思いやりの優しさあっての事である。思いやりの優しさ無く、打算的な態度で奢っても意味は薄い。ただの奢ってくれる都合のいいオッチャンだ。

リーダーの力というのは個人の間での精神的主従契約をどれだけ多く、強く構築できるかに集約される。恐怖政治は意味がない。多くの部下が自発的に気炎を発して戦うから、組織は成長する。リーダーが孤軍奮闘して得られる成果はたかが知れている。

 

こうして部下が自発的に動くようになった組織は、もっと大きな成果を出せるようになる。リーダーが目指すべき形は、これだと僕は思う。

歴史から学ぶ

僕は孫子の兵法が好きなのだが、その中にこのような一説がある。

 

卒を視ること嬰児のごとし。ゆえにこれと深谿に赴くべし。

卒を視ること愛子のごとし。ゆえにこれと共に死すべし。

(訳)

兵士は赤ん坊のように大切にせよ。そうすれば将軍に従って深い谷底へも一緒に行く。

兵士は自分の子のように大切にせよ。そうすれば将軍と一緒に生死を共にして戦ってくれる。

 

孫子の兵法は古代の中国で「将」、つまりリーダーへ向けて書かれた戦略書だ。この戦略書には当然、地形をうまく利用する方法や城攻めのテクニックについても書かれているのだが、兵士の気持ちを理解せよと上記の文で述べている。まさに大将たる器のことだ。

歴史を振り返っても、語り継がれるリーダー・指導者・経営者は皆この記事で説明したような逸話を持っている。

仕えるに値する大将か?

今、部下の立場にある人は自分のご主人様・リーダーが大将たる器を持っているかを考えてみてほしい。大将たる器があるリーダーには、仕える価値があると僕は思う。

僕は、かつてのブラック企業の社長に大将たる器を見出せなかったので、見切りをつけて転職した。今僕が仕えている社長には、大将たる器をと感じている。

現代においては、労働者と経営者は対等な関係にある。決して経営者の恩恵で働かせてもらっていると考えてはいけない。社長が、一人でできないこと、手が回らないことを代行するために、雇用契約を結んでいる。対等なのだ。自分が仕える相手は、自分で選ぶことができるのが今の日本。

※大将側にも兵士を選ぶ自由はあるから注意な

今後は人望がない大将は見切りをつけられ、人が離れて自然淘汰されていくだろう。

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