あるといいな、がある。

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以前、「AM・PM」というコンビニエンスストアのチェーンが日本にあった。もともとはアメリカ発祥のチェーンだったけども、2011年頃にファミリーマートに吸収されて、現在では見かけなくなっている。

このチェーン、コンビニとしては独特で、結構がっつりした冷凍食品を温めて売ってくれるスタイルが人気だった。僕も結構好きで、よく買っていたのだが、今日のタイトル「あるといいな、がある。」はこのAM・PMのキャッチコピーだった。

僕は雇われ人からの卒業を目指し研究を始めたのだが、そのためにはこの「あるといいな」をカタチにする事なんだとわかってきた。

転売やアフィリエイトも、もう飽和状態だ。供給過多の状態にある。

一昔前はブロガーも、アフィリエイターも、転売屋も少なかった。
供給が少なかったので、需要は集中した。
お金という切り口だけでなく、時間も、PVも少ないサプライヤーに集中していたから、収益になったのだ。

それが世間に広まって、参入障壁の少ない副業だとわかってしまったので、参入者が増えて供給過多になっているのが現状なのだと思う。
そのため、一昔前よりも進化した方法で戦わないと、十分な収益は取れないし、自分のタレント性を売りにするならば、既に埋まっている席は狙いにくい。
よっぽど力がないと、既に確立されているイスを奪う事はできない。先行者は今、ようやく報われているのだ。

僕はこれまで、ネット世界は展開が早いから新たな参入も容易なのかなと思っていたが、そんな事はない。先行者優位は確実にある。

ではもう打つ手がないのか?諦めるしかないのか?というとそうではなく、「あるといいな」をカタチにすれば可能性はあるのだ。

しかもその方法はネットで完結できる領域では厳しいだろう。

よく、ブロガーはもうオワコン、これからは動画の時代といわれるけれども、僕は単に階層が分かれるだけだと感じている。

これまではブログしかなかったから、みんながブログを見ていたけれど、手っ取り早い「動画」が出てきたから、テレビの代わりにそっちを見ているだけだ。

思うに、ブログ(文字)を好む層は動画には流れない。

いわゆる知識階級の人は、文章の方が情報収集には効率的だと感じているからだ。知識階級は能動的に情報を収集する。不必要な部分は読み飛ばす。だが動画は飛ばしにくく、視聴に時間がかかる。これが好まれない。

一方で非・知識階級は受動的な情報収集を好む。テレビが好例だ。また、この層の人はエンターテイメントを求めているのであり、動画にも同様のものを求める。

だから、文章が主体であるブログを見る人の絶対数は確かに減ってしまうが、コアな利用者は残る。

単純なPVは落ちるかもしれないが、本質的な「お客さん」は残るのだ。

そうすると、「エンターテイメント」を提供していたブログは確かに厳しいと思う(マンガは除く)。こういうブログの運営者は動画にシフトしていくべきだろう。

話が逸れてしまったが、「あるといいな」を実際のモノにしたり、サービスに変えたら、それは売れる可能性が出てくる。

『20歳のうちに知っておきたかったこと』(著ティナ・シーリグ)の第4章「あなたの財布を取り出して下さい」に似たような一節がある。

「あなたの財布をよく観察してください。もっとこうなったら良いなという部分はありませんか?そこを解決する財布があったら欲しいと思いませんか?」という部分だ(要約してます)。

これがビジネスのタネになると著者は語っている。

壮大な目標や理想を掲げる必要はなく、身の回りにあるちょっとした不便を解決するものを作れば、それは売れる可能性があるのだ。

この考え方を胸に日々生活していくと、いろんなアイディアが湧いてくる。自分にできそうかどうか、と考えることがトレーニングになると思うので、今後も研究を続けていく。

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