人々が「必要だ」と思うもの

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雇われ人卒業

前回の記事で、不動産賃貸業がなぜ堅い性質の商売なのかを考察した。

しかしそんな不動産賃貸業には大きな壁がある。

初期費用がかかるという壁と、知識経験の壁である。

やりたいけどやれないのが不動産

まず不動産は高価なものだ。

土地の値段、そして建物の値段は数百〜数千万、というのが一般人の見解だろう。

僕もそうだった。

事実これは、大都市圏の近郊の、中古戸建てや中古アパートなどの値段だ。

僕も永らく関東に住んでいるから、このアタマがあり、参入の障壁は高いと思っていた。

また賃貸物件も建てれば何でもいいわけでもなく、立地や設備と家賃の兼ね合いで需給は決まるが、もちろん良い条件のものは高価になる。

当たり前の話だ。

地方中古戸建て方式

僕は先述のような意識でいたので、まず不動産賃貸業を自分の可能性から除外していた。

(聖帝サウザー師匠に出会う前まで)

不動産賃貸業は、せめて1千万ほどの自己資金があって初めてスタートラインなのだと思っていた(アパートが対象になるから)。

そこに聖帝サウザー師匠からもたらされた情報が「地方中古戸建ての賃貸大家さんになる」

という方式であった。

これは、人口減少傾向にある地方において発生した空き家を安く買って、DIYで安く直して貸すという方式だ。

この業界においては加藤ひろゆきさんが著名で、2000年代前半に開拓され広められた手法である。

この方式ならば最初の資金を100万円以下に抑えることも可能だったので、僕のような大家ワナビーには希望の光となった。

「100万貯めれば…」というわかりやすい目標であった。

そうして「まずは100万」というわかりやすい目標を立てた20代後半の僕であった。

当時の僕は短期間(5年希望)でのFIREを夢見ていたから、サラリーマンの給料から貯金して〜という方式ではなく、副業で稼いでそれを不動産に変換していこう!と思っていた。

そこでインフルエンサー()の夢へ繋がっていくのだが、ここで副業に関しての見解も述べておこうと思う。

必要だと思うものを人は買う

前回の記事で、お客様がお金を出すのには順番があると述べた。

個人・法人ともに「これは必須」という種類のお金があり、節約するにしても限度がある、本当に最低限の費用があると説明した。

不動産はその部分に食い込めるから堅いとも述べたが、さすがに人間は野生動物とは違い、ただ生存するだけというものでもない。

不快や不便を避けようとするし、美味しいもの、楽しいこと、社会的な見栄、といった欲求もある。

その欲求の種類と強さは個々人によって異なるのであるが、それでも、多くの人が望み求めるものはある。

中でも、異性に好かれたい、社会で認められたいという欲求は、とりわけ強いものだ。

まず異性に好かれたいというのは生物として、動物としての本能。

生殖し遺伝子を繋ぐという生物の最大目標を重視することは、僕らが設計されたときに最初の最初に組み込まれたプログラムである。

この目的のために、すべての欲求は枝分かれしているのだ。

お金を稼ごうとするのも、

身なりに気を使うのも、

ジムで身体を鍛えるのも、

カラオケ練習するのも、

仕事で成果出して職場で褒められたいと思うのも、

なんだかんだで大半は、生殖活動が根源であったりする。

もちろんそれを超越する人もいるけれども、それでもやはり、まずはこのシンプルな欲求

「異性にモテたい」

という強力な根幹プログラムには逆らえないし、そもそも逆らう必要もない。自然なことだ。

そうなると、この「異性からモテたい」という欲求に近ければ近いほど、それは

「これは必要だ」と認識されやすい。

そして「これは必要な経費・重要な投資である」と判断されたものには、優先してお金が支出されるのだ。

ヒットしているものは大体これ

人々がお金を積極的に出しているのは大体はこの「モテたい」という欲求によるものが多い。

ファッション、レジャーはわかりやすいが、実は「お金を稼ぎたい」も結局はこれに収斂する。

なぜならば、お金を稼いだら買うものが、大体は服、車、腕時計だったりするし、そこには異性の目がある。

もちろんそれは悪いことではない。

だが結局は「お金」も「異性」へつながる。

僕らが原始人だった頃には、「お金」という概念はなかった。

その頃の人々は、たくさんの食べ物とか、快適な住処とか、そういうもので己が力を異性にアピールしていたのではないだろうか。

それの現代版が「お金」なので、結局はお金も異性も一緒なのだ。

もし仮に「お金を稼いだら最優先で人類のために寄付します」という人がいたら話は別だが…

聖帝師匠のすごいところ

このことより、聖帝サウザー師匠がヒットしたのは、氏の実力もさることながら、人々の需要に応えたからだと僕は分析している。

聖帝師匠のテーマは「カネとオンナ」。

「これからのカネとオンナの話をしよう」と、マイケル・サンデル教授ライクに語り始めた聖帝サウザー師匠が多くの人の関心を集めたのは、なるべくしてなったことなのだ。

まず「カネとオンナ」という、男性であれば多くの人が関心を持つこと。

プレーヤーが多いこと。

そしてそのプレーヤーに、一定以上の購買力があること、つまりカネを出せるほどの経済力があるかどうか。

これが高校生がメイン客層のような商材だったら、買おうにも買えない(リアルにお金がなくて)。

購買力、可処分所得を持っているであろう20〜30代の社会人の男を対象にして、カネとオンナを題材にしたら、そりゃあもう大半の人は対象者になる。

その幅広い層の中で、さらに多めの可処分所得・購買力があり、かつ勉強が苦でなくリテラシーの高い層。

この層の需要を芯で捉えたのが聖帝サウザー師匠のコンテンツであった。

しかしこれはある意味、必然であったと言える。

なぜなら聖帝サウザー師匠は様々な場面でこう語っていた。

「僕は、僕が欲しいものを作っているだけなんですよ。

PUAの人たちの話を聴きたいから、そして何度も聴き直したいから、こうしてテープを録っている。

過去の自分が欲しかったものを作ってるだけなんですよ」

こう述べている。

つまり聖帝サウザー師匠が、過去の自分に向けて作っているので、似た者である私たちが、それに惹かれていくのは自然なことだ。

もちろん、この聖帝サウザー師匠の「欲しかったもの」に全然価値を感じない人も、世の中には多くいると思う。

しかしその一方で、若き日の聖帝が迷い彷徨った道と、似ているもしくは同じような道を歩いているのでは?と感じた人には、聖帝のコンテンツはこれ以上ない道標となるのだ。

それが多くの人(僕もその一人)に支持されたから、聖帝サウザー師匠はネット芸人として大成したのである。

つまり対象者の数と、その悩みの深度によって、インフルエンサー商売の土台は決まり、あとは自分自身がどれだけ苦闘して、答えを得たのか、に左右される。

この「苦闘」と「答え」は頑張った人にしか見つからない。

この苦闘それ自体が、一次情報だからだ。

結局のところ、ある程度のリテラシーのある人は「一次情報」しか意味がないとわかっている。

いわゆるコタツ記事に意味はない。

自分がその手でつかんできた情報こそ意味があるのだと、そうでないと信憑性がないと、リテラシーのある人はわかっているのだ。

だから、聖帝サウザー師匠の試みというのは多くの人に認められ、喜ばれたのである。

 

いよいよ次回の記事では不動産の夢から醒めたことについて述べようと思う(ようやくか!)。

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