最近、聖帝師匠がプレミアムVoicyにて年金の話題に言及された。
基本はポンジスキームですよと。
ただし、うまいことやる余地は実は残されているよと。
そういう内容だった。
もちろんこの理論は正当であり、資本主義ゲームとこの国の法制度の原理原則を理解すれば導き出せる解のひとつであろう。
本気でやろうとすれば、手が届く方式だ。
それはそれとして、世代間格差について私が思うことを書き連ねていこうと思う。
保存・継承できてる一族もいる
年金格差とは、いわゆる戦後世代が大きく儲かって、今の高齢者が支払った金額よりやや儲かって、以後の世代は損をしていくという論だ。
これはもちろん、公式な記録と人口動態を基にして計算されたもので、間違っているとは言わない。
もちろん実際に、年老いた私たちの口座に振り込まれる現金はこの金額になるのであろう。
そして損をすると。
ただこれは「個人」の単位の話であって、これを「一族」という単位で考えるのはいかが、というのが私の意見だ。
私の一族、それと代々続く割と裕福な知り合いの話を聞いていると、実は富をちゃんと保存してきていることがわかった。
まず戦後世代の、現在90〜100歳くらいの人々が、多めの年金をもらっていたようだ。
これをその子世代へ、コッソリ譲渡しているように思う。
コッソリというのは明確な脱税ではない。
もちろん、亡くなって遺産相続という形になったら当然、相続税がかかる。
生前贈与であっても贈与税がある。
これを回避するために、例えば生活費や車の購入を親世代が全て年金で負担して、子世代は収入を丸々貯金、手をつけない。
こうすれば脱税ではないし子世代は現金を温存できる。
また、銀行口座を介しての現金の譲渡は当然、捕捉されてしまうが現金にして引き出した後にそれを子世代に与えて自宅の頭金にしたり自動車を買わせたりすることはできる。
その他、結婚した、引っ越した、子供が生まれたとか、大学進学など、大きめのお金がかかる。
このタイミングにおいても、じいちゃんばあちゃん世代が「お祝い」というテイでお金を負担してあげている。
原資は豊かな年金だ。
特に大学の入学料・授業料などは大きい。
こうして豊かな戦後世代が大型出費を立て替えてやることで子世代の稼いだ金を温存させることができ、子世代には現金が残る。
この子世代とは、現在60〜70代の人々だ。
行き場を無くしたお金は孫へ
私の周りには、現在60〜70代の余裕がある人々がいる。
ただ一部、バブルでやらかしたり、新築の家や新車を買ってローンで絡め取られた人はその限りではない。
言っちゃ悪いが、これらは贅沢品、浪費だ。
こうして、余裕のある60〜70代の人々であるが、その金の使い道も、個人消費するにしては膨大だ。
そして残り時間も少ない。
私の親族で、大した身分でもないがクルーズ船で30日間の旅行に行った人がいるが(コロナ前)、金と暇を持て余した、似たような世代(60〜70代)ばかりだったという。
金は行き場をなくしている感がある。
そしてこの金、60〜70代になった人々は自分はもういらないから、ということで子世代に譲り渡していく姿勢を見せるのだが、ここでポイントとなるのが「孫」だ。
やはり親というのは自分の子には厳しいものなのであろう。
自分で育ててきたから、自分が教育してきたから、どうしても甘やかしてはいけないという思いがあるように感じる。
しかしながら、「孫」に対してはそのようなリミッターはなく、ただただ愛でて楽しむ存在、のように思っているようだ。
言い方は少し悪いが、ペットの犬猫に注ぐ愛情と近しいのかもしれない。
もちろん、しつけや教育は実の親がする。
そういうことがわかっているから、基本的にじいちゃんばあちゃんというのは孫には甘いのだ。
そのため、「孫に必要なお金」はためらいなく出せるのだと思う。
遺伝子のバトン
あとは、これは私たちが生物で動物であるための本能だと思うが「遺伝子のバトン」を繋ぐ者にはできるだけ手助けをしたいという本能があるのだと思う。
じいちゃんばあちゃん、60〜70代。
子供の世代、30〜40代、ひとまず自立。
孫世代 0歳。
こうしてみると、孫世代にバトンを渡した方が長く走り続けられる可能性が上がる。
私の身の回りの事例、そしてよく聞く事例だが人は歳を取ると跡継ぎのことばかり考えるようになるようだ。
祖父母や親が「結婚はまだか」「子どもはまだか」としきりに聞いてくるのはもう、本能としか言いようがない。
老境に差し掛かると、大方のことはカタがつき、やりたいことも減ってくる。
趣味などへの興味関心も薄れてくる人が多いようだ。
そういうタイミングで自分の子供が妙齢に差し掛かるということもあって、彼らの興味関心は「遺伝子のバトン問題」が最大の関心ごととなるようだ。
会社をやっていたり、何かの職人さんである場合には、これら事業や技能の向上に忙しいかもしれない。
しかし普通の勤め人を定年で引退した人や専業主婦だった人たちは生きる目標や目的が薄いから、やはり本能が最も色濃く盛り上がってくるのを抑えられない。
ゆえに「結婚は」「子どもは」と言わせてしまうのは本能の発露であり、自然なことであろう。
孫へのスキップ相続
私の知人で代々続く家柄の人々は、これに加えてスキップ相続をして財産の散逸を抑えている。
これは通常であれば祖父→父→子(孫)という順番で2回、相続するところを祖父→孫へ相続させることにより、相続税を1回分スキップする手法だ。
※亡くなってしまうと法的に処理されてしまうので、遺言書で明記するか、生前贈与していく。
相続税は近年では非常に高い割合となっているため、このような節税が行われているようだ。
こうして年金は一族に保存されていく。
絡め取られる人もいる
「いやいや、そんな事例ないぞ」という人もいるかもしれない。
残念ながらそれは、年金温存リレーがうまく機能せず年金を散逸しているパターンだ。
聖帝サウザー師匠も警笛を鳴らす
- 盛大な結婚式
- 新築の戸建て
- 新車
このあたりで散財して、その富を吸い取られてしまっている。
また最近ではこの3つに加えて「教育費(塾代)」も重くなってきており、注意が必要だ。
以前、個別指導塾でバイトしていた私が思うのは、そういう駆け込み寺みたいなところに夏期講習で30万とかかけても、年間で100万以上かけてもダメな子はダメということ。
申し訳ないが「学校のお勉強」には適性がないということ。その上、本人も興味関心がないのだからそれはもう無理しなくても良いんだと思う。
代わりの生きる道を考えさせた方がいい。
男の子なら塗装職人になってもいいし、重機の運転手になってもいい。
女の子ならお菓子職人になってもいいし、美容師さんになってもいい。
学校の勉強が苦手でもできる仕事はたくさんある。
こうして大金を絡めとる装置のような産業がこの世にはたくさんある。
まるで穴だらけの一本道のようだ。
その穴は、わかりやすいのもあればわかりにくいものもあって、それを回避しながら進んで、子孫に財産というバトンを渡すのである。
そしてその道を並走しながら
「あの穴はとても危ない」
「あれは偽装されているが落とし穴だ」
「これは少しなら入ってもいいが、長くはいるな」
など教えていくのがお金持ちの一族だ。
これをカッコよくいうと「マネーリテラシー」となる。
「一族」という単位で年金を保護継承していこう。
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