積極的ご自愛

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ライフハック

「まだまだ肌寒い日が続きますが、風邪などお召しならぬよう、ご自愛ください」

手紙の文末に添えられる心遣いのフレーズで、僕はこのご自愛という言葉が好きだ。自分の体も気遣ってねという意味だが、この言葉の意味を30歳になって、実感している。今日はそのことについて語る。僕も30歳になり、残念なことに身体の衰えを徐々に感じるようになってきた。とはいえ、そんなに深刻な衰えではないのだが、20代とは違うと感じている。

最大HPの減少

まず、体力であるHPの最大値が下がる。もちろん個人差はあると思うが、特にハードではない1日のスケジュールを消化するときに100のHPを使うとすると、20代は120〜150はある。そのため、通常スケジュールの1日を過ごしても余裕で20〜50は残る。そして、スポーツやハード目な飲み会や夜更かしをして、それがゼロになって「疲れたな」と感じる。

しかしこれが30代になると最大HPが105くらいになる。通常スケジュールの1日であれば100使っても5残っているので大丈夫だが、ちょっと忙しくなったり飲み会が入ると、ゼロになる…というか足りなくなる。

なお不足分は容赦なく蓄積して、さらに最大HPを削るので注意が必要だ。この最大HPの現象は0.01とかの単位で進行する。そのため、急激な変化に気がつかないのが危険だ。例えば睡眠時間を平均5時間とかにすると1日あたり0.02くらいずつ、最大HPが減る。老化が早まっていると解釈することもできる。

HP回復速度の低下

1日を終えて、HPがゼロ付近に減っていても、睡眠をとって休めば、もちろん回復する。しかし、20代の頃は6時間も寝れば最大値(150とか)まで回復していたのが、30代で6時間だと95くらいまでしか回復しない。回復スピードが落ちる。この場合、7時間睡眠をとる必要がある。

そして、20代の頃はとりあえず眠れば良かったのだが、30代になると、ちゃんとした食生活をしつつ、ちゃんと入浴し、ちゃんとベッドで寝て、スマホは寝床に持ち込まない、ということを徹底しないとHP回復効率がすぐに下がってしまう。ちなみにこの辺を徹底できれば回復スピードはやや早めることができる。特に入浴して、自律神経を整える作業は身体にとって必要なようだ。20代の頃はこの自律神経のこととかガン無視でも十分な回復量でゴリ押しできていただけなのだ。

MP(気力)の消費

MPは精神力やテンションといったメンタル的な、いわゆる気力をさすポイントだ。僕の経験では、対人関係や、高度に思考を要求する作業で消費される。対人関係は、人と会って話したり、メールしたりすることだ。気を遣ったり、配慮したり、相手の反応を伺ったりすることはスポーツに近く、MPを消費する。また、本を読んだり、ニュースを見るようなインプット作業もMPを消費する。

また、高度に思考を要求される仕事などもMPを消費する。そして、このMPも基本的には睡眠でしか大幅には回復できない。コーヒーを飲んだり散歩をすれば多少は回復するが、多少だ。50使ったところを5回復させる程度である。

このMPも、歳をとると消費量が多くなるし、最大量が減る。これはHPと似たようなメカニズムなのだが、特にMPにおいてはインプットにも制限がかかる点が大きい。学生の頃とか本をたくさん読んだりしてインプットするのに適した期間だったのだなと改めて思う。1日に吸い込める情報量が減ってきていることを実感する。僕も最初は、時間をとってないだけだろと思って、時間を増やしてみたのだが、続けていると、もう脳が処理できなくなってくる。集中力が切れるとも言える。目から情報が入っているのだけど、脳に入らない。脳が「入んないよ?」と訴えてくる。これは、20代の頃にはなかった現象だ。

単なるインプット訓練をサボっていたからでは、と疑った。半年くらい訓練を再開したのだが、どうやら単なるサボりだけのせいではないようだ。1日に取り込める情報の量が減ってきているようだった。その源泉は、集中力などのいわゆる気力の部分で、これがMPの消費だと気が付いた。

なぜなら他のことでMPを消費すると、インプットできる情報量の上限が減るということに気がついたからだ。エラいめんどくさいことが起きると、それでMPを使い果たして、まずインプットしようという気力がなくなる。それでも無理してインプットの体勢に入っても、今度は脳が受け入れない。これはもう、どうしようもない。これが気力・MPの存在を知るきっかけとなった。

節約とセルフメディケーション

ここまで、30代になった僕の体と心に起きた変化をご紹介した。そして、この現実に対して嘆き、ヘコむことも簡単だが、それでは何も解決しない。人生はガード前進だ。この心身の衰えも、うまく攻略して前進したい。このような衰えは、僕が生き物である以上、致し方のないことだ。ならば、そのような心身の特性を把握した上で、最適解を検証することが僕にできることだ。

20代のときは、体力を使い果たすまでゲームしたり飲んだりして、カップラーメンだけ食べて、酒を飲んで風呂も入らずにテキトーに6時間寝て、起きれば全て回復していた。これがもうできないのだと、まずは諦める。

体力と気力を節約し、バランスのとれた食事をし、風呂にも入り、ベッドで7時間ちゃんと寝る。このような節約とセルフメディケーションをしないとやりたいことができないのが30代の身体だ。

「やめる」という選択を

僕の場合は、雇われ人の仕事に追加して、ブログ執筆活動やゴルフの練習、不動産投資の勉強が入ってくるから、それに全振りするためにも諦めなくてはならないこともある。テレビをなんとなく観ることをやめ、2chまとめサイトの巡回をやめ、漫画雑誌の立ち読みをやめる。ようつべのサジェスト動画をチェーンさせていくことはもう、諦めなくてはならない。体力と気力を節約しなくてはならない。興味関心のあること全てに対し全力というのはもう、できないのだ。割り振りをシビアに行っていく必要がある。

今思うと、全てを欲張れた20代とはなんというボーナスタイムだったのか。失って初めてわかる。最大HPと回復量の減少は、これから進む一方だ。40代、50代になったら、もっと減る。僕は積極的に「ご自愛」をしてパフォーマンスが保てるようにしたい。積極的ご自愛をしなければ、身体はブラック労働に耐えかねて壊れてしまう。セルフブラックは必ずしも正しくないのだ。

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