忘年会の欠席は”巧く”ない

※当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
ライフハック
年の瀬も迫ってきた12月、ツイッターやYouTubeで「忘年会とかいう風習はクソ!参加しなくて良い!」という意見が散見された。しかし僕は思う。
「巧くないな…ひたすらに、巧くない」と。

イケハヤ先生の主張

特に反響の大きかったイケハヤ先生の動画(今年は忘年会を断ろう!【#忘年会スルーのすすめ】)から、意見を引用していく。
・最大4人としか話せないのは研究でわかっている
・お酌とかさせられてパシられる
・上司のご機嫌取りがヤダ
・参加費もかかる
・クライアントとの飲み会すら断った。社長にチクっと言われた。
 無駄だったからサボっただけ。ブログが書きたかった。
・パートナーと過ごしたい。
・リーマンは空白を恐れるから埋めたいだけと知れ。
・余白が無いから自分が薄くなる
 忘年会断って自分の時間を入れよう
・忘年会を断ることで勇気がつく
 常識を破る勇気を持ちましょう
・年末の3時間は貴重です
・パワハラされたらヤダ
・孤立しても問題なし。会社は無限にあるのだから。
・流されない勇気がないと成功しません。小さなステップですよ。
 断ることで磨かれるのです。

僕の感想

確かにイケハヤさんの主張は正論で合理的ではあると思う。彼の人生の指針、性格、特性、能力と技能を鑑みればこの主張に異論はない。ゆえに、イケハヤさんのようになりたい!と願う人で、その力が実際にある人には合致すると思う。まさしく正論である。つまり「組織に属さず独立しても、暮らしていくのに不自由がない収入が既にあるという人、もしくはその実現可能性が高いと思われる人」だ。そういう前提条件であれば、イケハヤさんの主張は合理的だし正論だ。しかしながら、世の中の大半の人はそうではないだろう。もちろん、独立を目指し、その道の途中の人も多いと思う。僕もその一人で、調査と研究と実践を続けている。
だからこそ思う。サラリーマンをやめることは簡単なことではないと。
自分の商品やビジネスモデルを組んでも、それが十分な収入になり、かつ向こう数十年通用するものである可能性は、どれくらいなのだろうか。つまり自分を食わせていくことができる「足場」が確保できているかどうかがポイントだ。もし強固な「足場」を確保できていたらイケハヤさんの主張は採用できる。しかし、僕も含め、その足場を完成させることは簡単なことではない。
ならば、ひとまずの足場としてサラリーマンをやることは、多くの人に避けられないことだろう。凡人にはそもそも選択肢が少ないのだ。このサラリーマンという足場は、否応なく「組織」になる。組織には、職位の上下があり、指揮系統がある。この秩序でもって、日々の業務をしているからだ。サラリーマン仕事というものには、スーパースターは要らない。組織の秩序を守りながら、日々の業務を進めていくことが求められる。むしろ、その程度のことで安定的なサラリー(給与)がもらえるから、多くの人がサラリーマンをする。ゆえに最初の「足場」になるのだ。

サラリーマンという「足場」

さて本記事のテーマである「忘年会に参加すべきか」はこの足場を快適にするか否かに関係する。
そういう視点で見てみると、イケハヤさんの主張は、この「足場」を不安定にして、居心地良くないものに変えてしまうと、僕は思う。確かにイケハヤさんの主張は正論で、合理的ではある。だが、現実に即していないなというのが僕の感想だ。つまり、巧くない
言い方は悪いが「子供みたいだな」という印象を持った。「やりたくない!」「損したくない!」という気持ちが強すぎて、それを素直に出しすぎなのではないか。「やりたくないことはやらない!」とても素直だ。人間、かくありたいものである。しかしこれは、経済的な自立ができてサラリーマンをする必要がない人にのみ許された、精神の自由ではないだろうか。子供は親の庇護下にあり、経済的な心配をしなくてよく、かつ無知ゆえに自由に振舞えるのである。
先述の通り、この経済的な自立の達成は、凡人には簡単なことではない。

「かわいくないウゼェ部下」になると詰む

イケハヤさんの意見には「もしあなたが上の立場なら?」という視点がない。もし自分が上司の立場だとしよう。そして「僕は忘年会いきません。無駄じゃないですか」という部下がいたらどうだろう。シンプルに「コイツかわいくないな。ウゼェな」と思うだろう。しかし同時に、参加を強制することもできないし、したところでマズイ酒になること確実である。そもそも、そんなかわいくなくてウゼェ部下はこちらから願い下げではないか?「あっそう、じゃ来なくていいよ」と思うだろう。
これが痛い。
人間には感情がある。かわいくない部下は助けないという上司の感情も十分に有り得る。もちろん、そういう私情を抜きにできる人が上司なら素晴らしいが、なかなかそういう人は少ない。人間、感情はどうしても付きまとう。もしあなたが誰にも頼らず、ミスなく業務ができる力があるなら良いが、大半の凡人はそうではないだろう。細かいミスはしちゃうだろうし、上司の助けが必要な場面が、どうしても出てきてしまう。そんなときに、上司だって「助ける/助けない」を自由に選べる。もし仮に、業務遂行上、助ける義務があったとしても、上司としての義務ギリギリのケアをするだけに留めることもできるだろう。つまり「あえて助けない」「ギリギリの面倒しか見ない」という選択肢もありえる。そうなると、孤立無援のまま業務をしていくことになり、ますます深みにはまったり、ツラい状況に追い込まれる。そしてもし莫大な損失など出そうものなら、上司はいくらでも上層部に説明することができる。「私は指示を出してたんですが…彼が勝手に…」と。もちろん、管理責任などは問われるだろうが、あなたの会社員人生に大ダメージを与える方法はいくらでもあるのだ。そういうリスクを考えたら「コイツかわいくないな」と思われるのは大きな損失ではないだろうか。上司だって人間である。公平正大な聖人は、そんなに多くはない。
「忘年会の欠席」それ自体が直接的にリスクになることはない。
しかし、マイナスの印象が付いて、何かあったときに助けてもらえなかったり、人員整理の時に「いの一番」に切られてしまう。追い出し部屋への追放リスト筆頭になる。何かやらかしたら即・追放である。そういう残機ゼロの状態で、ミスが許されない猶予のない状態。即レッドカード。これは「足場」としては非常にスリリングだ。シビアすぎる。
バリバリ営業会社のような「数字こそ全て!」な職場ならいいけど、マッタリな、並みの会社なら和を乱さないほうが賢明だろう。この足場をしっかり守った上で、自分を食わせていけるような次の足場を構築すべきだ。それが凡人の戦略だと考えている。
そして僕は思う。イケハヤさんは、そんなんだったから、組織にいられなかったのではないだろうか。そりゃぁ居心地悪いんじゃないか?と思わざるを得ない。あなたは、今のイケハヤさんみたいになりたいだろうか?なりたいならいい。そうでないなら忘年会は出席したほうがいい。

「子分である」という”姿勢”を示す

僕はこのような人間の感情の機微を研究するうちに、若いときはオッサンを懐柔することに一生懸命になったほうがいいと、自身の経験から思う。忘年会はオッサンを手懐けるチャンスだ。
普通のオッサンは、会社という組織においてはサル山の上位サルでありたいと願っている。部下という子分がいて、自分は親分。実際に、子供がいたりしたらその「親分」という意識は強くなるだろうし、いまのオッサンたちはそういう「親分・子分」の関係の中で半生を生きてきた。だから…積極的に子分になることを僕は勧める。しかし心の底から子分にならずとも良い。ポーズで良い、それで十分だ。
それこそ忘年会に参加すること自体が子分であることのポーズである。そして会の中で、ビールをお酌してやることで子分であることを示すことができる。そしてオッサンの昔の武勇伝を聞いてやり、「すごいですね!大変だったんじゃないですか?さすが部長!」と接待して差し上げればいいのだ(わざとらしくなってはいけないが)。
このように振舞うことにより、オッサンを親分として、自分が子分であるという形を作り出せる。並みのオッサンは自分が親分であるとなれば、頼ってくる子分をないがしろにはしない。助けてくれたり、大目に見てくれたりする。それがサラリーマンという足場を居心地良いものにする。
親分、子分の関係を嘘でもいいから作ろう。プライド捨てるならここだと思う。虚を捨て、実利を追う姿勢である。1を支払って、10を得よう。イケハヤさんは、この「1」をケチっているように僕は思う。だから巧くないな、と感じるのだ。

KUNさん「飲み会は行け」

僕が最近注目しているユーチューバーに「KUN」さんがいる。KUNさんは元プロゲーマーで、今はゲーム実況のユーチューバーなのだが、かつて企業に勤めたこともあり、その時の経験を話している。そのKUNさんが「職場の飲み会は絶対行け!」と言っているこの動画を見てみて欲しい。
もし時間がないなら、8:30からでだけでも良い。非常にいいことを仰っている。
ネットに騙されちゃダメ!
ネットのね、飲み会行かなくていいみたいなのに騙されたらダメダメ!
絶対!行ったほうがいい。むしろ行かないと…ツラくなる。
ミスっても、なんとかなるみたいになんないから…(中略)
職場の人と仲良くして、許してもらうとか…
要約すると、職場で良好な人間関係を築いておくと、ミスったときに大目に見てもらえる。それが大事、ということであった。まさにその通り。無謬の人などいないのだから、ミスったときに許されず、クッソ詰められるような事態は避けるべきだ。そういう環境をつくるな。とKUNさんも言っている。僕も全くの同意見だ。
忘年会、行きたくないなと反射的に感じてしまう気持ちはよくわかる。こんな記事を書いている僕だって、忘年会の出欠確認メールが来ると反射的に「うわ行きたくね~」と”感じて”しまう。しかしこの反射をぐっと堪えて、この記事のように思考して、天秤にかけて、参加するのだ。そしてオッサンを攻略し、飼い慣らしていくのだ。

冒頭の意見に対する僕のアンサー

さて、冒頭のイケハヤさんの意見に僕なりの回答をする。一問一答形式だ。
最大4人としか話せないのは研究でわかってる
→内容なんてどうでもいいと思う。参加することが大事だから。
お酌とかさせられてパシられる。ご機嫌取りがヤダ。
→子分ポーズを示す好機。ここにプライドは不要。
参加費もかかる
→これは仕方ないが、年に1回なら良いのでは?これをケチったばっかりに失うものが多すぎる。
クライアントとの飲み会すら断った。社長にチクっと言われた。
→これも損失大きい。社長に目を付けられるのはハイリスク。社長は人事権握ってますよ。
無駄だったからサボっただけ。ブログが書きたかった。
→合理的だが、組織には向いてない気質。ブログはいつでも書けるだろ。
パートナーと過ごしたい。
→別に1日くらい良くないか?
リーマンは空白を恐れるから埋めたいだけと知れ。
余白が無いから自分が薄くなる。
忘年会断って自分の時間を入れよう
→確かにそういう人もいる。が、それにしても失うものが多すぎ。
忘年会を断ることで勇気がつく
常識を破る勇気を持ちましょう
→確かに勇気といえるが…クレバーではないと思う。
年末の3時間は貴重です
→年末だから特別貴重ということはないと思う。事前にわかってるし、1年に1回なら良いのでは。
パワハラされたらヤダ
→パワハラはダメだよね。これはやる奴が悪い。
孤立しても問題なし。会社は無限にあるのだから。
→問題あり。転職は何度もできない。孤立って、意外ときついよ。特に凡人は。
流されない勇気がないと成功しません。小さなステップですよ。
断ることで磨かれるのです。
→いち早く独立したいと強く願う人にはそうかもしれないが、世の中の大多数である凡人にYouTubeで伝えることではないと思う。
以上

コメント