自分は探すのではなく掘り起こすもの
よくインドやカンボジアへいって自分探しする
大学生がいます。
途上国へいって価値観変わった!とか
自分が恵まれている環境だと気付いた!
と満足して終了するわけです。
自分探しの目的は、ただの旅行では見つからない。
「自分」なんてものは
どこかに落ちてるものではなく
自分の中にあるので、外に探しに行っても
見つかりません。
自分との対話が必要です。
国内で十分ですね。
素直になってみる
ではどうやって自分と対話するのか?
素直になってみましょう。
今日、何が食べたい?
今週の休日、何をしたい?
「しなくちゃいけないこと」とか
「時間ないからすぐに済ませられるもの」
ではないです。
「遠くて、人気で並ぶけど、あのつけ麺たべたい!」
「こないだ雑誌で見た北海道の湖、
キレイだったから生で見てみたいな」
こういう、自分の中から湧いてくる欲求を大事にしてください。
時間かかるから、とか
高いから、とか
翌日仕事だから、とかで
ぼくらは欲求にフタをしがちです。
そしてさっきの例で言うと、
一番行きたいつけ麺ではなく
近所の日高屋のつけ麺で我慢しちゃう。
北海道の湖じゃなく、近くの江戸川みにいって
終わらせちゃうかもしれません。
洗脳されてるかも?
ぼくらは学校生活の中で、
校則という形で集団行動を刷り込まれ、
禁止事項に縛られ、
大人になっても会社からいろいろ禁止され、
指示され、欲求にフタをする訓練を
さんざんさせられています。
禁止事項を守らせたほうが
管理する側は楽ですからね。
むしろ、自分の好きなこと、
欲求に従うのは悪いこと、
やりたいことを我慢して勉強や
仕事をすることはエライと
洗脳されてきているのです。
ぼくらの先祖が猿だった頃、
そんなに我慢してなかったと思いますよ。
やりたいことができないから、
みんなストレス溜まって病んでいくのです。。
社会によって洗脳されているんです。
英雄王の名言
Fate/Zeroというアニメがあります。
この中で英雄王ギルガメッシュという
キャラクターが名言を残します。
自分さがしをしている相棒に対して、
「無意味さの忘却、苦にならぬ徒労。
すなわち遊興だ。
遊興は愉悦を導き、
愉悦は幸福のありかを指し示す」
といいます。
たとえばぼくはゴルフが趣味ですが、
興味ない人からみたら「球を打って穴にいれる行為」
にしか見えません。無意味に感じます。
もし強制的にやらせられたら、苦痛に感じ
徒労に思うでしょう。
もちろん、ゴルフに限らず
他の行為も大半は無意味なものです。
この無意味さを感じず、
それを徒労とも感じないこと。
これは遊興だと英雄王は言います。
さらに、この遊興が愉悦につながり、
愉悦を積み重ねていくことが
幸福なのだぞと諭すのです。
ぼくも英雄王の意見に賛成です。
英雄王のいう、愉悦を感じている時間
すなわち幸福な状態で人生という
残り時間をどれだけ塗り潰せるか。
これが人生の意味だと思います。
もっと自分に素直になっていいと思います!
愉悦の見つけ方
では、自分にとっての苦にならない徒労とは
自分が何に興味関心を持っているのかを
見つける方法ですね。
それは自分が日頃、
何に時間やお金を費やしているのか
これです。
仕方なく払わざるを得ないものや
仕事は除いてください。
そうですね…もし10億円が突然
手に入ったら、仕事やめますよね。
車検のお金とか余裕で払えますよね。
そういう状況だったとしたら、
気の向くままに行動すると思います。
それが自分の追い求めてる遊興=愉悦です。
これを見つけることが自分探しです。
そしてこの自分の遊興=愉悦を
お金に変える方法を見つけ出せた人は
それが天職となります。
好きで、自然にやっちゃうことがお金になる。
これは目指すべき最高到達点だと思います。
自分の愉悦をおっかけて、幸せな時間で
人生を塗りつぶす。
いい人生だと思います。
※補足
サイコパスは例外ね
他人に危害を加えたり
嫌がられるようなことをすることは
おすすめしません。
警察とかに妨害され収監され
最終的に愉悦じゃなくなります。
まあ、英雄王の相方も実はそういう
ゆがんだ嗜好を持っていたので
苦悩するんですけどね。
99%の人は今日の内容で
いけると思います。
サイコパスのことはわからんです。
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