死んだ子の年を数えるな

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ライフハック
「死んだ子の年を数えるな」
この言葉はその文字通り、死んでしまった子供が、もし生きていたら今は何歳だったのに…と過去を振り返ることをさす。「過去のことを考えても仕方がない」とか「未来のことを考えろ」という言葉はよく耳にするが、僕はあまり実感を得ていなかった。音としては理解できるが、しっくりとこなかった。しかし、この「死んだ子の年を数えない」はハートにズンときた。そのことについて僕の経験を述べていく。

先日の新橋での損失

まず最初に思い浮かんでしまったのはつい先日の新橋のキャバクラでの散財(新橋の狂宴)だ。別にボッタクリではないのだが、90分18k(k=千円)であの内容はコスパが悪い。18kもあれば新品のパターが買えたし、新品の本が10冊は買えた。半月分のランチ代くらいになったなぁ…そう思うとあの出費は悔やまれる。
…が、悔やんでいても18kは戻ってはこない。返金もないし、一緒に行って場内指名したヤツから多めに回収することはもうできない。それでも、何かほしいものが出てきたときに、「あの18kがあったら、迷わずこっちの高いほうを買ったな」とか思ってしまうのである。そんな僕にはこう言い聞かせる。
「死んだ子の年を数えるな」と。いや、死んだ18kを数えるな」といったところか。

ゴルフでの池ポチャ・OB

先日のゴルフで、僕は後半の5番ホールまで「+1」だった。
1H ボギー(+1)
2H ボギー(+1)
3H パー(±0)
4H バーディ(ー1)
こんな感じで非常に良かった。前半も45(+9)と悪くないスコアだったのでこのままのペースで、ボギー中心なら後半も42(+6)くらいでおさまり45+42で87でベスト更新だ!と期待が膨らんでいた。
その5番ホール(パー5)でティショットOBと池ポチャ、そして3パットで11(+6)というビッグイニングを叩き出してしまい、ベスト更新の希望はついえた。結果、後半は+12の48となり、45+48で93という普通のスコアになってしまった。
あのOBがなければ、あそこで池に入れなければ…そんなことを6番、7番ホールでは常にモヤモヤ後悔していた。でもそんな僕にはこう言い聞かせなくてはならなかった。「死んだ子の年を数えるな」と。死んだスコアはもどらない。僕にできるのは、次のホールでいかにパーを取るか考えること、ひいては次の一打に集中するしかない。

学生時代

僕の大学生時代は失敗だらけだった。
初めての彼女ができたとき、いろいろやらかして振られた。親が高い授業料を払ってくれて確保してくれた時間を、時給の安いバイトで切り売りした。パチンコにハマって、大負けした。免許もせっかく取ったのに、ペーパードライバーになった。時間が有り余っていたんだから一人旅をすればよかった。かわりに家でモンハンに明け暮れていた。
そんな学生時代を、20代前半の若い時期を、もっと有意義に使えたよなぁと後悔した。しかし、願っても時間は戻ってこない。やはり僕は自分に言い聞かせなくてはならない。死んだ子の年を数えるな」この場合「死んだ若さを後悔するな」と。

就職活動

僕は色々とミスって、ブラック企業に進んで入社した。大学の友達はみんな上場会社へ就職した。僕は友達の中では異端だった。僕はその道が正しいと思い込んでいたが、ブラック激務がその選択は間違っていたと教えてくれた。
僕の選択はミスだと言わざるを得なかった。そして、世間体とか、辞めると言い出すのが怖くて、なんやかんやで3年在籍した。もちろん、少なからず成果が出たことも続けられた理由ではあるのだが、ズルズル続けてしまった。拘束時間と給与が見合っていなかった。パワハラ全盛の時代でもあった。
そしてとうとう耐えられなくなった僕は転職活動をしたのだが、ソッコーで転職が決まってしまった。アッサリ年収が1.5倍になって、年間休日も1.5倍になった。平日も21時退社だったのが、18時退社が普通になった。僕のあの3年間は何だったのかと後悔した。激務のせいで彼女とも別れてしまったり、給与が少ないので貯金も全然できなかった。イヤな思いもたくさんした。はじめから、モトモな会社に入っていたら…と後悔した。しかし、やはり自分に言い聞かせなくてはならない。死んだ子の年を数えるな」と。死んだキャリアを思い返すなこのブラック企業3年間のキャリアは消せないし、もらえなかった賃金はもはや請求もできない。前進するしかないのだ。

エレブーとブーバー

ここまで、人生の後悔とやり直しを望む本音を書いてきた。もし自分の人生を「強くてニューゲーム」で最初からリスタートできるのなら、もっと良い人生に出来たと思う。しかしそれは、叶わぬ夢で、ファンタジーだ。失敗してきたからこそ学んだこともあるし、体験できたこともある。僕は新卒でブラック企業に入ったから、今のマトモな環境がとんでもなくホワイトに見える。初めての彼女でミスったから、次の彼女では同じ失敗を避けられた。そして、サラリーマンをやったから、サラリーマンの良いところも悪いところも知ることができた。
ポケモンの初代、赤バージョン緑バージョンでは、赤にしか出ないポケモン、緑にしかでないポケモンがいた。赤ではエレブーが出てくるが、ブーバーが出てこない。緑はその逆だ。人生経験も、同じだと思う。僕はエレブーを捕まえたけれど、ブーバーとは遭遇できていない。でも逆に、ブーバーを持っているけどエレブーを見たことがない人もいるはずだ。人間は、それぞれの経験や情報をこのポケモンのように交換しながら生きている。

死んだ子の年を数えず、前に進もう

ここまで、僕の過去の後悔を書き連ねてきた、それらの後悔にトドメを刺せる言葉が「死んだ子の年を数えるな」だ。「死んだ」という単語がポイントだと感じる。死んだものは生き返らない、不可逆のものであると強くイメージするができる。あぁ、あの金も、スコアも、若さも、キャリアも、過去のものはみんな「死んだ」のだ、と一種の諦めがつく。死んだのだから、もうどうこうできない。変えられない。
そのように過去を諦め、納得させる力が「死んだ子の年を数えない」にはある。「年を数える」という未練のある行為の描写がまた、強烈なビジョンを僕の脳裏にもたらす。もう不可逆なことなんだと、強くイメージして、次に進むことができる。死んだ子の年を数えていたら、前には進めないのだ。
もし、クヨクヨ後悔してしまう出来事があったら、あなたも思い出してみてほしい。「死んだ子の年を数えるな」と。

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