1回目の夢(インフルエンサー)反省会

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雇われ人卒業

前回の記事で、僕は夢から2度、醒めたとお話しした。

1回目と2回目の夢の終わりと、そしてこれから始まる3回目の夢について、書き残しておこうと思う。

まずは1回目の夢について。

僕はインフルエンサーになりたいと思っていた。

夢の起こり

2015〜16年ごろ。

まだ聖帝サウザー師匠に出会う前、20代中盤だった僕。

ブラック企業から転職して化学メーカーに入った頃だ。

化学メーカーは、仕事内容がゆるいし(勝手に売れるのでやることが少ない)、定時帰り、なんなら直行直帰もできるという時間的に恵まれた環境。

給与も前職から増え、年間休日も120日以上になったこともあって、いわゆる「普通の勤め人」としての生活を謳歌していた。

このように、ハード面での労働環境は良好だったのだが、当時2015年ごろというのは、いわゆる「団塊の世代」がまだ60代後半で生き残っており、それによって結構めんどくさいことが多かった。

68歳とかでも、役員であると定年退職はない。

そういう人口ピラミッドだったので、正直、2021年の今から考えると良くない慣習もたくさん残っていた。

有給休暇が取りにくい…というか、たくさん取得すると査定が下がるとか、朝は定時の30分前には出社しろとか、突発的な飲みとか、今思えば、前時代的だったなぁと思う、平成後期であった。

先述の、労働環境という「ハード面」に対し、このような「ソフト面」での不満は多かったことを記憶している。

しかも結構イヤな言い方で「指導」してくる年配者が多く、すごくウザかったことを覚えている。

ただカネと時間の面で満足していたから(当時は)、グッとこらえていたが、ストレスは溜まっていた。

「なんでこんな仕事の本質じゃないことで悩まなきゃいけないのかなぁ」と、不満を持っていた。

そんな折、上司との考え方の違いで揉める事件が発生し、ストレスMAXの頭で営業に出ると偽りドトールに行き、不満を紙にガリガリと書き殴った。

そこには大きく「バカの下で働きたくない」と書いていた。

その時から、僕は勤め人・雇われ人の身の上がたまらなく嫌になったのだった。

とはいえ、お金もスキルも特にない20代中盤の若者である。

勢いで仕事を辞めて生きていける手立てはなかったし、転職するにしても自分の職歴とスキル(特に無い)で、より良い条件の会社に転職できる見込みは少なかった。転職したばかりだったし。

また、仕事のハード面には不満がなかったから、ひとまず我慢して、副業の道を模索することにした。

繰り返すが、2016年ごろの話である。

そう、その頃とは、イケててハヤい先生の最盛期だった。

『まだ東京で〜』が出版されたのは2016年1月。

こうして「雇われの身分から、なんとか脱したいな」と調査を始めた20代中盤の僕は、イケててハヤい先生を追いかけ始めたのであった。

イケててハヤい人にあこがれて

僕はまず、副業をして収入の柱を増やしていこうと考えた。

「副業」について、調査と勉強を行なった。

せどり、転売もやった。

しかし送料や梱包代、プラットフォームへの手数料などを考えると純利益は少なく、また性質としても自分が作業するために、時間の切り売りに近いなと思って断念した。

次に中古品を修理して売る方法も学び、革靴やゴルフクラブをターゲットにしていたが、これも送料や中古市場の相場などを鑑みると、仕入れを相当安くできないと利益はとれないということがわかり、断念した。

不動産投資はまとまった資金が必要なので当時は手が出せなかったし、格安戸建てという方式も知らなかったので、これもパス。

そうなると残ってくるのはブログやアフィリエイトであった。

その時、追いかけていたイケててハヤい先生は、まさにこのルートで独立を果たした御方であったから、やはりこれだろう、と思った。

ブログに広告を貼る。多くの人が観にくる、PVを集めて、そこにアフィリエイト案件を流したり、Googleアドセンスで広告料を得る。

電子書籍やnoteを販売して、収益を得る。

オンラインサロンやメルマガに登録してもらって、月額会費をもらって安定化させる。

そんなような手法をイケててハヤい先生は提唱していたし、事実、ご自身も実行して成果を挙げておられた。

僕はこの頃の氏が好きだった。

この後、氏は仮想通貨に傾倒していき、色々と身を持ち崩していくのであるが、その途中で彼から

「サウザーラジオ」なるものがもたらされる。

2018年6月のことであった。

聖帝サウザー師匠を追いかける

こうして聖帝サウザー師匠と出会い、私淑していくことになる。

その中で聖帝師匠からもたらされた奥義が「自分の商品を作って、売る」ということだった。

自分の労働力をそのままお金と交換するのではなく、「商品」を作って、それを売ることによって自分の労働力とは切り離されたものとお金を交換していく。

この段階において、僕の頭からはアフィリエイトやPV集めのアドセンス狙い等は候補から消えた。

これらの「広告モデル」は他人の商品を売るお手伝いをして、その報酬をもらうという形なので「自分の商品を作る」ではなかったからだ。

自分に作れる商品とはなんだろうかと考えた。

「営業マン」の限界

また僕はその頃、サラリーマンの仕事である「営業マン」としての限界も感じていた。

僕は確かに「売ってくる」ことはできるようになった。

しかし、それは「売ってくる」だけであるということにも気がついた。

結局、技術部などが設計したものを、工場が作って製品にして、それを僕は売り捌いてきているだけだ。

良いものを作ってもらえないと勝負にならないし、売価を安くするために効率的に製造してもらわないと、戦えなかった。

「営業マンとは、なんて他人に頼りきりの仕事なのだろう」と、痛感していた時期だった。

いやいや、そんなのどこの会社も同じでしょう、と思うかもしれない。

その通り。世の中の営業職・営業マンというのは根本的にそういう性質を持っている。

自ら製品を設計して、材料を調達・製造してそれを売る営業マンなど存在しないし、それができたらもはや営業マンではなく、一人社長だ。

そんなこともあって、僕は自分が「売るだけの人」から「創る人」にならなければならないのではないかと思い始めていた。

とはいえ、現職の化学メーカーにおいては、文系の僕が製品を設計することなどできはしない。

また設計だけでなく、製造するための設備も、人員もいない。

自分が作れそうな商品を、自前で作っていく必要がある。

こうして僕は自分に作れそうな商品を探し始めた。

しかし物品は難しそうだ。

結局は自分がクリアしてきた経験を電子書籍やnoteにして販売するのがいわゆる「コンテンツ販売」なのだと気がつき、電子書籍を作っていくことになる。

インフルエンサーになることへの挑戦

聖帝サウザー師匠は、そのコンテンツ力と、SNS運用力によって、多くの支持者が居た。

そしてこうも仰っていた。

「自分の商品を、SNSで告知してフォロワーの皆さんに買っていただく」

仮に良い商品が作れても、それを認知してもらえなければ売れることはない。

世の中の企業の多くは、その部分を「広告」として経費をかけ世の中に発信していくのであるが、ネット芸人の場合はSNSで告知すれば良い。

しかも、マスメディアで広く遍く告知する必要性もないわけで、自分に共感してくれるフォロワーに、自分が作った良い商品を届けられたらそれでいい、というのが聖帝サウザー師匠の教えであった。

先日のイケててハヤい先生も、この手法であったから、僕は自分もインフルエンサー()になって、自作の商品をSNSで告知していっちゃうぞ!と鼻息荒かった。

しかしながら、その試みは達成できなかった。

ただ、僕は運が良かったようで、いくつかチャンスがあったにはあったのだった。

田端砲

実は僕は駆け出しの頃に田端砲をもらったことがある。

イケててハヤい先生に失望して書いたブログをどういうわけか田端さんが取り上げてくれて、これのおかげで当時一桁のPVだった僕のブログが万単位のPVになった(数日間だけだが)。

※この頃はまだ、ライブドアブログで「脱・雇われ人研究室」というブログ名で書いていた。

たくさんの人が僕のブログに来てくれたけど、当時の僕は商品が何もなかったし、アフィリエイトも全然していなかったので(無料ブログだったというのもある)、この田端砲は全然活かせなかった。

このとき、僕はインフルエンサー界隈を監視するアカウントの方々の存在を知り、その一派になることもできたかもしれないが、それは目指す姿ではないなと思い、やめた。

もしかしたら、そのようにインフルエンサー界隈を切れ味鋭く批評していたら、PVは稼げるかもしれないが、結局はそこで終わりそうだなと思ったからだ。

聖帝砲

それから半年が経ち、聖帝サウザー師匠に白熱教室のレビュー記事の功績を認めていただいた僕は、白熱教室紹介文を担当させてもらったり、RTをしてもらったりして、売名もさせていただいた。

それどころか2019年末には白熱教室にも出演させていただいた(意識低い系転職のススメ)。

そして2020年3月に自前の電子書籍を発売し、ようやく自分の商品を世にリリースしたのだった。

『キツい営業 ラクな営業』

この電子書籍はなんだかんだで多くの方にお買い上げいただいた。

もちろんうれしいことではあったしありがたかったが、売上の大半はアマゾンさんの取り分なのです。。

正直、このブログのサーバー代、ドメイン代がなんとか払えたか、くらいの収益である。

聖帝サウザー砲を使ってもらっても、こんなものだった。

このことは、僕の実力の限界を示していた。

インフルエンサーは、ラクじゃない!

そう僕は勘違いをしていたのだ。

イケててハヤい先生は、なんだか「サクッと」稼いでおられるように見えたが、それは彼がそのように「見せていた」だけであり、実際はかなり努力しておられることを痛感した。

聖帝サウザー師匠もかなりのこだわりをもって、高品質な商品をつくっておられた。

僕は彼らのように毎日更新もできないし、エッジの効いた主張もできない。

商品作りも、かなり大変だ。事実僕は5万文字の電子書籍を作るのに半年もかかってしまった。

そして何より痛感したのは、インフルエンサーという生き方は、かなりの実力を要求されるということ。

相当面白い人が、それを積極的に発信していこうという姿勢なくしては成立しない。

ブログやYouTubeは、結局は拡声器にしかならない。

拡声器が高機能でも、その内容が面白くなかったら人は集まらないし、ましてや商品など買ってくれるわけはないのである。

また僕は扱える話題も、かなり対象が狭いことにも気がついた。

僕がコンテンツとして売り物の価値にできそうなものは、文系マーチ卒の人が化学メーカーへの転職することと、営業テクニックと、ゴルフで100切ることについてくらいだった。

なんだこれ、かなり対象少ないじゃないか…

イケててハヤい先生は、東京で消耗する多くの人々が対象だったわけだし、

聖帝サウザー師匠だって「カネとオンナ」という男なら誰でも欲しい情報を取り扱っておられた。

対して僕が提供できる「化学メーカーへの転職、営業テク、ゴルフ100切り」など、対象者が全然少ない、少なすぎる。

でも僕はカネとオンナなど語れるだけの実力がないし、価値あるコンテンツを届けられる分野はかなり限定的なものであった。

これらから、僕はインフルエンサールートで稼いでいくのは難しいなと思い知ったのだった。

そう、インフルエンサーで生きていくのは、ラクじゃないんだ!

続く

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