単独行動のススメ

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ライフハック
僕は高校生くらいから単独行動を好んできた。思い返すと「おともだち」と一緒にいることに不自由を感じていたからだと思う。不自由が我慢できなかった僕は、自分が心地よい方向、つまり孤独を選択していった。しかしその中で葛藤もあった。もし、この記事を読むあなたが、孤独って悪い事なのかなと不安に思っているのなら、そのモヤモヤのヒントになれるかもしれない。

群れたくない奴が頑張って群れた結果www

まず僕の体験談を。僕は文系の大学生になり、まずウェイ系になろうと努力した。これは、18歳の僕にはテレビ、雑誌や漫画の世界が全てであり、それに登場するような一般的な大学生にならなければならないという強迫観念があった。大学生になったからには、サークルにバイト、飲み会にスノボの毎日に明け暮れなくてはならないと思い込んでいた。実際には、そんな量産型になる必要は全くなかったのだが、18歳の僕は何とか仲間入りしようと頑張っていたのだった。
思えば、この過程こそ営業マンになるための訓練だったように思えるが、コミュニケーション能力を磨くには他の方法もあったと思う。このような量産型大学生になって身につくのは飲み会コールと一気飲みのスキルだけであった。もう社会人も8年目になるが、そのようなコールや一気飲みが役に立った場面はなかったな。
その体験を2年続けて、イベントも1巡し、後輩ができてきたあたりで、疑問が湧いてきた。これって意味あるのか?と。楽しいっちゃ楽しいが、2回目もやりたいか?という疑問である。まあ何だかんだで結局、2巡目もやったのだが…
僕が通っていた大学は年次が進むとキャンパスが変わるので、サークル活動も事実上、霧散した。次にはゼミナール活動という、またもや群れる系の活動が始まった。ここでも群れるわけだが、やっぱりなんだか楽しくなかった。カラオケオールやBBQが正直めんどくさかった。なんでこんな風に思うのか、当時は葛藤した。僕は集団生活に向いていないのだろうか、社会人になってやっていけるのだろうか、と不安に思っていた。そんなことは誰にも相談できなかった。そうこうしているうちに大学を卒業した。当時の友人たちとはそれぞれの結婚式で再会する程度だ。うすい。
そして就職しブラック企業に入った。ブラックだったので普通に忙しく、群れる時間すらなかった記憶がある。単独行動が基本で、この部分は気楽だった。そしてブラックを辞めてホワイト企業に転職した。ホワイトなので群れ群れである。やっぱりなんか気持ち悪い。ベタベタしすぎ。そして僕は、自分が真に居心地がいい環境について思いを巡らせた。
結論としては、やはり群れてよかったことは、あまりない。これは個人の素質が大きく影響していると思う。

自分は群れに向いているか?

僕の体験から、群れるのが向いてないと思う人は無理に群れなくてもよいと結論付けたい。僕は群れたい側の意見がわからないので、群れない側の意見だ。
もし今、あなたが集団で群れている中で
「めんどくさいな」
「楽しくないな」
「時間の無駄だな」
「早く帰りたいな」
と思うなら、それはあなたが群れる事に向いていない証拠だ。その思いに背を向けて、義務感・強迫観念で群れる事を装っているのなら、やめても何の問題もない。この強迫観念には立派な名前がある。ランチメイト症候群という。
このランチメイト症候群を克服できないと、これからもずっと、自分がたのしくない群れに居続けることになる。ポイントは自分が楽しいと感じるか否かであり、楽しいと思っているのなら群れれば良い。
だが群れる事に疑問を感じている若人がこれを読んでいるのなら、僕は断言できる。群れたくない人が群れても幸せにはなることはない、と。そういう人の幸せは、群れの中にはない。

単独行動の良いところ

僕はなぜ単独行動が好きなのか考えた。この2点が思い浮かんできた。
  • 時間を自分でコントロールできる
  • 相手の懐具合を気にしなくてよい
順に説明していこう。
僕は自覚があるのだが、わがままでせっかちだ。自分のタイミングで行動をしたい。誰かの歩調に合わせたり、待ったりするのは苦痛だ。自分勝手だとも言える。また、行列に並んだり、待たされるのは大キライだ。そのストレスに勝てないので、早く行ったり、時間帯をずらしたりしたい派だ。
みんな同じだろと思っていたのだが、僕の妻は「並ぶのは仕方ないよ。待とうよ」と言っていて僕は衝撃を受けた。待つことがストレスにならない人もいるのだ!衝撃だった。僕の見立てでは、ディズニーランドに好んで行く人、行列を受け入れるタイプの人は群れるのが苦痛でないタイプだ。僕はディズニーはランドもシーも1回ずつで懲りてしまった。
次に、相手の懐具合を気にしなくても良いこと。例えば誰かと旅行にいっていたら、入るレストランを選ぶときに相手の懐具合を気にしなくてはならない。共に稼いでいて経済事情が同水準とわかっていればトラブルは少ないが、差があった場合には配慮が必要だ。その配慮が、面倒くさい
仮に稼いでいたとしても、たまに食べ物には金をかけない派もいて、ますます面倒くさい。しかも、自分が食べたいものが高額なものだったりするとそこを我慢しなくてはならないときもある。皆が並寿司を頼んでいるのに、特上寿司を一人だけ頼むわけにはいかないだろう。
上記のように時間とお金の使い方について、自己を抑圧していることにストレスを感じるタイプは、それをやめたほうがよい。やめて失うものなどほとんどない。友達がいない、というのは悪い事のように感じるかもしれないが、どうでもいい友達と群れても根本的な解決には至らない。
僕なりにたどり着いた答えは「同じ方向を向く仲間を見つけること」だった。

研鑽は一人でする

研鑽。磨き深める事。その対象は、学問かもしれないしスポーツかもしれない。芸術かもしれないし、音楽かもしれない。なんでもいい。自分が興味関心を持てることなら、なんでもいい。それに思いっきり時間を使えばいい。
そうして、自分の関心のままに研鑽が進むと、一定の知見が得られるようになり成果物が出せるようになる。このとき「おともだち」が周りに居る必要はない。研鑽は、基本的に一人で行うものだからだ。「おともだち」がいたらその人の進捗に合わせなくてはならない。研鑽は、思いっきり自分勝手に進めるほかない。

同じ方向を向く仲間

そうして自分の興味関心のあるものを磨き上げたら、その成果物を世に出してみる。そこには同じように興味関心を持つ人が集まる。もちろん、自分よりも上手な人にも、未熟な人にも会える。その共通の関心を旗印にして、似ている性質の人が集まる。しかし決して同質とはいえない。共通点を持つ人達ではあるが、年齢も職業もバラバラだろう。ゆえにこれまでの学校や会社という、ある意味均一な環境とは異なる世界での人間関係となる。
インターネットが普及して、物理的な障壁はなくなった。会わずとも、意見交換が高速でできる道具がインターネットだ。そんな環境において、同じ方向を向ける仲間を見つけられたら、その人達と一緒に活動をしていけばよい。
僕が思う、群れるのがキライなタイプにとっての人生の目的は、こういう、自分と同じ方向を向いている人達と横並びで共に研鑽していく事だと思う。横並びというのがポイントで、向かい合う事は基本しない。
群れるのは、やっぱり難しいと思う。それは性質だから仕方ない。だが群れたくないもの同士なので、互いに群れないのだけれども、ゆるくつながっているといった感じだ。

20歳くらいの人へ

以上が僕がこの10年、感じてきた内容だ。
もし、いまこれを読んでいる大学生や新社会人がいて、群れる事に悩んでいるのだとしたら、安心していい。その悩みは自然なものだ。そして群れなくてもやっていけるし、群れてもたいしたものは得られないのでは、という予感は当たっている。あなたは群れたくない側の人間だというだけなのだ。良いも悪いもなく、群れる事に対して好きか嫌いか、適正があるかないかの違い程度だ。
だから群れたくない人は頑張って群れなくても良い。大丈夫だ。研鑽して、真の仲間を見つけよう。ただし、会社組織など、世の中には群れたい人も多くいいることを知っておこう。彼らに対し、少しだけ、譲歩してあげよう。少しだけ、支払ってあげれば大きなリターンも得られる。それが僕が身に付けた処世術「1を払って10を得る」だ。
学校の友達は卒業したら霧散、職場の人達も定年退職したら霧散する。最後まで残るのは、同じ興味関心を持った仲間だけだ。

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