征服王から学ぶ、営業と恋愛

※当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
ライフハック

今回の学ぶシリーズはFate/Zeroより征服王イスカンダル先生から、営業と恋愛について考察していく。

征服王の価値観

騎士王セイバーは「民を助けて守り、繁栄させるのが、王たるものの責務」と主張した。それに対し征服王イスカンダルは反論する。「いいや違う。王が捧げるのではない。国が、民草が、その身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない」と喝破する。これは営業や恋愛にも通じる点があると思うので、それについて説明していく。

「売ってください」が最高

営業という仕事において、大多数の営業マンはお客さんに「買ってください」という態度で接している。売るために、値下げをしたり、サービスをしたり、オマケをつけたりする。営業マンが介していなくても、CMやポスターで、消費者の購買意欲をくすぐるフレーズを多用する。
でもそれは、要するに「ウチから買ってください!」と言っている。つまり消費者に媚びるタイプの営業だ。これは売る側である営業マンとしては苦しい立場になる。そして実際には、こういう形で頑張って売っていくしか方法がない業界や商品もある。そういう営業職は、大変で厳しいものだ。
セイバー風な価値観でいたら、「私があなた(お客さん)を助けます、お得にさせます」と言って、お客が「そう?それならあなたから買ってもいいよ」という気持ちで買っている。
征服王スタイルは全くの逆になる。「ウチの商品が欲しいだと?それならこれくらい支払ってもらおうか」という超強気・殿様商売のスタイルとなる。目指すべきは、このカタチだ。
セイバー流は、客に合わせていくスタイルで、征服王流は客が合わせてくるスタイルだ。どちらのスタイルが優れているか、というのは最終的な売上と利益によるので一概には言えないが、現場で商談する営業マンの立場・労力という点では、圧倒的にイスカンダル流の方がラクなのはわかるだろう。
セイバー流は、常に値下げと相見積もりにさらされる。イスカンダル流は、値下げにさらされない。つまりはコモディティ化している商品なのかどうか、がポイントになるのだが、その源泉はただ一つ。自社しか作れない稀少な商品を扱っているかどうかだ。
営業マン単位でいうなら、自分にしかない知識経験、つまりコンサルティング能力が商品ともいえる。自分の経験に裏打ちされた体験談は、とても強い。それを持っていて、心強いと思われる営業マンに、客はついていく。お金を払う。

恋愛において

恋愛においては相手に尽くすよりも、尽くしたいと思われる存在になることが関係を長続きさせる秘訣だ。セイバー流に、相手に尽くす態度を取ると、尽くされる側は、自分の方が立場が上だと錯覚する。錯覚…というか実際そうなのだが、そうなると、要求がエスカレートしたり、より魅力的な異性が現れたときに、目移りするようになる。
それを防ぐ方法は、束縛でも監視でもない。結婚という法的な制約でもない。自分の価値を上げ、相手が身命を捧げたくなるような人物になる他ない。見た目、行動、実績などの努力が必要だ。この努力なくして、相手をつなぎとめることは、本質的にはできない。
よく、異性に良く思われようとして、貢いだり褒めたりする戦略があるが、これは逆効果だ。自分のレベルが上がるから、結果的に相手が寄ってきて、良好な関係が保てるのだ。

営業と恋愛の共通点

営業も恋愛も、自分の価値・希少性を高めることにより、客や異性が寄ってきて、お金や身命を捧げてくる。この立場になると、勝手に商品が売れたり、紹介がもらえたり、異性のほうから寄ってくる。この状況をつくることが最終目標だと僕は思う。
努力の「方向」がとても大切だ。セイバー流は、努力の矛先を「外」に向けている。客・異性・競合・市場など、自分の力で変えられないものについて悩み、動かそうとする。
それに対し征服王流は、自分の商品・ルックス・知識経験・実績など、自分の力で高めたり改善できる、変えられるものに力を注ぐ。内側に向かって努力をする。つまりは、自分との戦いをしている。

希少性は相対的

では、それを雇われ人の仕事ではなく、自分のビジネスに置き換えてみる。「自分しか作れない商品」が稀少であれば客のほうから寄ってきて、お金を支払って買っていく。
この商品は卓越していて稀少でスゴイものでなくてはならないのだろうか。もちろん、特別にスゴイものは、イスカンダル流になれる。だが、「誰もやりたがらないこと」「大企業がやらないこと」「儲かっている人がやらないこと」「やっている人が少ないこと」でも、希少性は上がる。誰でもできるけど、あえてやりたくはないこと。それも、実は稀少だったりする。
東京で小洒落たイタリアンバルを開いても、競合は多いし珍しくもないので価格勝負、かつクオリティ勝負になっていくだろう。だが、小洒落たイタリアンバルを地方都市で開いたら、話題の店となるだろう。イタリアンバルが地方都市にはあまりないからだ。

営業マンの最適解

僕は文系の量産型で、資格も特技も何もないことを就職活動で思い知った。そして、自分に市場価値がないことがとても怖くなった。社会人になったら、営業マンとして一人前になろうと誓い、突っ走った。
僕はずっと新規開拓をテーマとしてきた。結局、営業マンというのは新規開拓ができる人が市場価値が高く、生き残るとわかったからだ。このときはまだ、雇われ人という枠の中でしか考えていなかったのだが…。
そして新規開拓営業を行い、成果を出すことができた。同時に、値下げにもかなり悩み、答えを求めて本を読み漁った。しかし、求める答えは見つからなかった。少なくとも現状では、書籍やインターネットという場に、「営業マンの最適解」はあまり落ちていないように感じている。営業マンに関する記事を検索すると、転職サイトの公式コラムで毒にも薬にもならない、一般論を書き連ねているだけのタテマエ的な記事か、営業マンを失敗してしまった人が書く「営業は地獄」という記事のどちらかだ。
僕はそうではなく「キツイ営業はこういう特徴がある、これは進んで扱うな。値下げの原因はこういう背景がある、だからこういう商品は扱わなくて良い」という考え方を、ブログを通じて世に広めたい。
この日本にキツイ営業が残ってしまうのは、そのキツイ営業を延命させてしまう人たちがいるからに他ならない。ブラック環境でも、頑張って、粘ってしまっている。その粘り・頑張りが、ブラック労働の正体だ。その対価は経営者に吸われて、会社の存続費になっている。
僕はこの「ダメなものを営業するのは大変だから、無理して頑張るな」という考え方を、僕のブログを通じて知る人が増えたら、自然にブラックは減っていくと考えている。ダメなものは淘汰圧がかかっている。それに頑張って抗ってしまうから、ブラックになる。
そしてその商品のダメさは、いち営業マンがコントロールできないものがほとんどだ。経営者が判断するしかないことばかりだ。ゆえに、営業マンがそのハンデを背負って粘る必要性は、実はない。
営業マンが自分の心身をすり減らしてブラックの存続を助ける必要なんてない。淘汰されるべき会社は淘汰されるべきだと僕は考える。

コメント