前回で2019年8月のセミナーまで振り返れた。この時点で1年2ヶ月浸かっていた。この最終編では、聖帝サウザー氏と、リアル世界で出会ってから10ヶ月の話になる。
まさかの声かけ
セミナー直前に白熱教室レビュー記事を、鬼気迫る勢いで書き上げていた7月。7/28までに7本を完成させていた。我ながら、尋常でないペースであった。気合が違う。
そんな中、2019年7月28日に「アナキンさん編」をアップした。当時としては最大級の文字数(約5,600文字)であり、また内容としても濃いものが完成した。
これに対して聖帝サウザー氏より、ツイッターで連絡をいただいた。
ちょっと余りにも記事のクオリティが高いので、白熱教室のページからリンク貼らせて頂くなど、業務提携のお話をしたいです。
大変失礼な話ですが、セミナーご参加される場合は会場で僕にお声掛けください。セミナー開催前後の日程で、どっかで時間取ってゆっくりお話ししませう。— サウザー (@Fist_of_Phoenix) July 29, 2019
こうしてファンとしては規格外のチャンス、一対一でお話しさせていただく機会を得たのだった。
当然のことながら嬉しくて嬉しくて…
待ち合わせ場所で聖帝を待つ間、とってもソワソワした。えっこんなドキドキするの、大学生以来じゃね!?と自分の心の瑞々しさに驚きを隠せなかった。
事前に8/3セミナーでご挨拶はさせていただいていたものの、他の参加者の時間を奪ってはならないと、僕は控えめにしていたから、言葉を交わすのはこの対談が初だった。
なんだか20歳そこそこの大学生の頃に、まだ付き合っているわけではない女の子と待ち合わせをして、彼女がやってくるのを待つ…あのドキドキソワソワ感。そんな忘れて久しい気持ちを、30歳になって10年ぶりに感じた。それも異性でなく同性に。初めての感覚だった。
サウザーラジオ 間接出演
面会の日までに、何を話そうか、たくさん考えた。
もちろん感謝を伝えるのは当然として、是非とも具申したいことがあった。
僕はサウザーラジオと、白熱教室によって大きなヒントを得て、あとは前に進むだけの状態になった。
しかしそれは、自分が恵まれた環境にあるからだとも、わかっていた。
つまりゆるふわホワイトで、まあまあな年収をもらえるという働き方をしていたから、”放課後”に余力が残せた。体力も温存できていた。
ブログにも全力投球できたし、ラジオやオーディオを聞く時間もあったし、多少の小遣いもあった。
僕は新卒で入った会社がブラック激務で薄給だった。
もし仮に、その状態で聖帝に出会っていたとしても、今のように「勤め人卒業!」と気炎を発することはできなかったであろう。
若き日の自分がそうであったように、ブラックで暇なく働いていると、本当に人生が詰んでしまう。疲れ果てて、休日は昼まで寝るだけ。勉強する気力は湧かなくなり、日々を生きていくので精一杯になってしまう。
それが、ブラック企業が労働者の心を折り奴隷化して、思考を放棄させて無力化する手法なのだ。
だからこそ、勤め人卒業を目指すのならば「ゆるふわな働き方」こそが大切な1ピースなのだと。
この話は大変盛り上がった。聖帝もゆるふわホワイト勤め時代があったから、勤め人卒業できたと語っておられた。
僕は化学業界の素晴らしさ(ゆるふわさ)をお話しし、また業界と企業の数値の分析方法を披露し、面白がってもらえた。その内容を採用いただき、サウザーラジオのメイントピックにご採用いただいた。
第316話 文系人間の逃れられない宿命と、その打ち手について(2019年8月5日放送)
このときはまだ、「リスナーのメンズ」という匿名での紹介だった。
この放送はとても良い回なので、ぜひ聴いていただきたい。
白熱教室 紹介文
そして面会のメイン話題であった白熱教室紹介文の代打について。
聖帝は様々な事業を展開していく中で、どうしても時間が足りず、白熱教室の紹介文を完成できないことを非常に憂いておられた。
「とりあえずアップ。紹介文は鋭意作成中」
当時はVol.2以降がそのようになっていたシリーズが、結構あった。
しかしながら、新規の白熱教室を作っているとどうしても、過去作の紹介文の回収が難しいのだと、聖帝は大変、心を痛め困っておられた。
もちろん聖帝手ずから執筆することが最も好ましいことではある。
しかしながら、それは難しいのが現実だった。
その歯痒さをなんとかするため、次善の策として僕に代打の役割を振ってくださったのだ。
聖帝ご自身が苦心の末に産み出し、大変なこだわりを持って制作されてきた大切な、大切な、
「白熱教室」というブランド。
その大切な一部である紹介文を、君になら任せられると。
そんな聖帝からの信頼の意を、僕は重く受け止めた。
同時に、僕の胸は誇らしさで満たされた。
勤め人の仕事で大事なお客様を任された時でさえ、これほどの誉れを感じたことはない。
夢のような数時間はあっという間に過ぎていった。
もちろん、紹介文の代打には正式に報酬を頂いている。当初僕は嬉しくて「報酬なんていらないです!」と言ったのだが、聖帝は「それはならん」と、頑として報酬を握らせてくれた。
ともすれば、ここまで心酔している信者にタダ働きさせることは簡単なことだ。しかしそれは正しくないと、聖帝は頑として譲らなかった。
今思えば、もし無償でやっていたら、数ヶ月はできたとしても、長期間にわたって責任感を持って執筆活動はできなかったかもしれない。
ラーメン発見伝の芹沢さんの名台詞を思い出す。
「金を払う」とは、仕事に責任を負わせること、
「金をもらう」とは仕事に責任を負うことだ。
金の介在しない仕事は絶対に無責任なことになる。
とはいえ、そんな難しく考えるまでもない。
聖帝は仕事に対してはちゃんと対価を払うという、人として当たり前の、相手を思いやる気持ちを持っていて、そんな心遣いが僕は嬉しかった。
2回目の面談
それから少し季節が進んで、秋の訪れを感じ始めた頃、再び聖帝とお会いする機会を得た。
その日もまた大変待ち遠しく、僕は当日までアレコレ話すことを考えていた。
今度は「白熱教室をもっと広める」ことを提案した。僕がハマりにハマった白熱教室シリーズは、素晴らしいものである。
しかしながら、最初の1本目を買うのに非常に勇気が要ることを僕は自身の体験から知っていた。
サウザーラジオは無料だからとっつきやすいが、白熱教室は有料コンテンツ。またnoteからダウンロードするという形式もハードルになっているのではないか。不安なのではないか。そんな仮説を聖帝にぶつけ、それを解消する企画を提案した。
「白熱教室の白熱教室」
白熱教室はこういうもので、無料のラジオとはこう違う。
なぜ有料なのか?どんな内容がメインなのか?
そしてどういう想いで、聖帝が作っているのか。
そこがわかれば、きっとラジオのリスナーは余計な心配なく白熱教室シリーズに踏み出せて、ヒトとして一皮剥けて勤め人卒業へも近づくと思いますと、僕は熱を込めて語った。
しかし最初、聖帝は
「そうなの?オーディオブックを買うのは普通じゃね?」
と仰っておられた。
いえいえ、オーディオを買う習慣がない、初めて買う人はとても怖いものなのです。
一回買えば、もう大丈夫なんだけど、最初の1回がとにかく心配で、ハードルが高い。だから、お試し価格の100円で、僕と一緒に作ってくれませんかとお願いして、この企画はスタートした。
「意識低い系転職のススメ」誕生秘話
そしてそれまでも熱弁していたゆるふわホワイトへの転職についても、僕は是非、白熱教室にして欲しいとお願いした。
もちろん、白熱教室の講師というのは、決して軽いことではない。
だから僕ひとりだけでは力不足かもしれないから、他にゲスト呼んだり転職エージェント呼んだりするのはどうでしょうかと、熱をこめてお願いした。
聖帝は「複数人かぁ…」と天井を見上げてしばらく考えておられた。
「あの人呼んでみる?」「いや、あの人か…?」と悩んでいる。
そんな様子を、僕は姿勢を正して見守った。
「いや、やっぱりこれは二人で録ろう。白熱教室の白熱教室も一緒に」
こうして2つの企画は正式に決まった。
無名でまだ何の実績もない僕の企画だが、その価値を鑑みて、あの「白熱教室」の棚に、一緒に並べて良いと許されたのだ。
湧き上がってくる闘志を感じた。なんとしても良いものを作ろうと。
そしてこの企画、当初僕は「ゆるふわホワイト営業編」と提案していた。
「意識低い系転職」という言葉は、僕が考えた言葉ではない。
話が盛り上がる中で、
「仕事選びはホント意識低いのが大事!そう、意識低い系転職だ!」と聖帝は言った。
そうして「意識低い系転職のススメ」は生まれた。
智信仁勇厳
こうして僕はインターネットから得られる一方的な情報だけでなく、聖帝と面談し、その人柄をこの目で確かめた。
その中でこの「智信仁勇厳」は確実にあったとお約束する。
智は言うまでもないだろう。
信は信義に篤く、義侠心を重んじること。
仁は相手を思いやる心。
信と仁は、先述の白熱教室の紹介文の報酬エピソードを見てもらえたらわかるはず。
また、詳細は教えられないが、僕が色々ヒヨっていたときに力強い言葉で僕を励ましてくれた。きっと聖帝はもう憶えていないくらいのささいなことだったかもしれないが、下の者というのは、そういう小さな心遣いを決して忘れぬものなのである。
勇は新しい取り組みへの行動力、未知への挑戦。これも普段の聖帝をご覧の皆様ならご周知のことかと思う。
厳は時として持つべき厳しさ。詳細は述べることができないが、聖帝の信義に反した人は、一切の妥協なく遠ざけられている。例外はない。
その「厳」つまり「威厳」は、適切な緊張感を、僕も含め周囲の人に与えている。
夫子の道は忠恕のみ
無論僕も、日々その「厳」を感じながら、紹介文の執筆や発信活動に取り組んでいる。
しかしこの「厳」は、そんなに恐ろしい、後ろ向きなものではない。
聖帝はいつだって「ヒトしてどうなのか?」という視点でジャッジをされている。
できる・できない、じゃない。
上手い・下手、でもない。
ただそこに邪悪さがないか、我田引水の強欲がないか、潔くないか、美しくないか。
そういうところを見て、ジャッジしていると、僕は感じている。
だからいかに僕が白熱教室に出演した実績があろうが、紹介文を代筆した実績があろうが、もし邪悪に染まって醜いヤツになったら即刻サヨナラになることは明らかなのだ。
そんな緊張感が、かえって心地よい。
だから僕も、ヒトとして踏み外してはいけない道、行動指針を持って発信活動をしている。
そういう姿勢は、聖帝サウザー師匠から教わった奥義だ。
僕も初期の頃は、いかにして副収入を上げるか、どうやって金を稼ぐか、に傾倒しかけたときもあった。
その頃に接していたネット界隈の諸先輩方は「マネタイズ!収益化!」と声高に叫んでいた時代で、その大きな声に乗せられそうになっていたのだ。
しかし同時に「それって良いことなのかな…」と揺れてもいた。
しかし聖帝サウザー氏は「それは違う」と力強く断言してくれた。
僕の心に立ち込めていた霧は、一気に晴れた。
こういう聖帝の姿勢を間近で感じて、思い出した句がある。
吾が道は一を以て之を貫く。
夫子の道は忠恕のみ。
論語の有名な一説だが、忠とは自分の良心に忠実なこと。
恕とは他人の立場に立って思いやりを持つこと。
そんなことをインターネットで出会った人から教わったのだ。
「師匠」
もし手元に「白熱教室の白熱教室」オーディオを持っている人がいたら、是非とも37:00から聴いてもらいたい。
ただ、これは500部限定だったから、持っていない人のために要約を記す。
(他のインフルエンサーを評して)偶然要素で成功しちゃったから、”人格”が追いついていないと感じる。
”人格”は、読書で磨かれる。
こういう時にこうすれば良い、という知恵は、古来の先人が教えてくれる。
成功した時に、人間というのは知恵と勇気を試される。
人間の本能―――恐怖と強欲に負けると、どうしてもダサい、動物的な選択肢を選んでしまう。
でも「違うんだ」と、本は教えてくれる。
そこで人間は、崇高な精神は、どっちを選ぶべきかというのを、古来の賢者たちは教えてくれる。
僕はネット芸人となって、いろんな人たちが没落していくのを見てきた。
没落していくのは、結局は恐怖と強欲で、信用を失っていくから。
精神が練られていない、”徳”がわかっていない人たちがついつい安易な方向へ流れてしまって、自分に負ける。
それで消えていく。
だから本を読まずに泡沫の成功をつかんでも、いろんな試練が降りかかってくる。
そして常に正解を選ばないといけない。ひとつでもミスるとそこで没落の扉が開く。
だから全問正解しなくてはいけない。
でもその答えは全部、本に載っている。
孔子の本や司馬遼太郎の本に。男はどう生きるべきかっていうことを。
だから時間をとって、本をたくさん読むべきなんですよ。紙の本、古典をね。
それが難しいならオーディオブックで補う。勉強は絶対必要です。
(中略)
(インフルエンサー界隈は)バブルなんですよ。
バブル時代って、品がない人でも時流に乗ったら成功しちゃう。
でもそういう人たちはバブルがはじけたら確実に没落する。
でも変わらない本質、いつの時代も変わらない成功法則はある。
バブル時代での特殊な成功法則はすぐに通用しなくなる。
本質、変わらないものは、確かにある。
僕はこの言葉を、直接聴くことができた、非常に幸運な男だ。
この日を境に、僕は聖帝サウザー氏を「師匠」と呼ぶようになった。
聖帝まみれの2年間
それまでは、僕はただの「熱狂的な信者」だった。
アーティストと、ファンの関係だった。
しかしあの日から、僕はただのファンではなくなった。
人生という道場で、道を究めるための師匠と門下生の関係になった。
とはいえ、そんなに堅苦しい関係でもない。
なんというか、歳の離れたアニキのように、慕っている。
だからみんなも、聖帝の示す正攻法でもって、忠恕の道を進んだらいい。
もう、いろんな声に惑わされなくていい。小手先のテクニックなんて、やらなくていい。
それが聖帝サウザーまみれの2年間で僕が見つけた、答えだった。
(完)
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