白熱教室紹介文について

サウザー白熱教室

最近、サウザー白熱教室・支那そば軍曹殿の人生編の紹介文(Vol.3)で苦労しつつも一皮剥けることができた感覚がする。文章書きに取り組む者としての日記を書いておく。

「あらすじ」はダメ

まず、この白熱教室の紹介文という仕事には、白熱教室本編という明確な台本がある。まずはこの台本から大きく離れてはいけないことは、紹介文なのだから当然のことだ。

しかしそれにとらわれすぎると、単なる「あらすじ」になる。

紹介文とは、これまでのサウザーさんご本人の紹介文もそうであるように、単なる本編のあらすじや目次ではない。その紹介文自体が、本編の内容とリンクしつつも、それでもなお、また別の角度から学びを与えてくれるような内容になっていることが多い。

だからこそ、単なるあらすじになってはいけないのだ。

説明的文章

次に、いわゆる説明的文章。

国語の教科書の文章とか、センター試験の文章読解問題のような文章だ。新聞の社説とか、実用的な新書とか、学術的な要素を含むものも説明的文章になる。

学術的な文章に、物語文のような心情の描写は不要だ。

白熱教室シリーズは、この学術的要素を含んでいる。

筋トレ理論の解説やナンパ術から始まり、アフィリエイトの手法や不動産投資法などのビジネスノウハウに至るまで、サウザー白熱教室シリーズは学術的で科学的でシステマチックなアプローチをしている。

そこにサウザーさんのユーモアや、歴史の小噺や人文学的な要素のスパイスが絶妙なバランスで織り込まれているから、白熱教室は面白い。

それはサウザーさんが市販のオーディオブックを聞き込んだ末に得た奥義なのだと思う。

そんな白熱教室の紹介文だから、内容をただ単に時系列に並び替えて、学問的・科学的に解説する「説明的文章」にしてしまってはいけない。もし紹介文がただの説明的文章であったなら、既にシリーズを聞いてくれているリスナーはともかくとして、初めて接するリスナーは誤解してしまう。

白熱教室は、単なるノウハウ羅列の音声教材ではない。

学術とスピリットがミックスされたものだからこそ、その紹介文もそのようにミックスしたスタイルが好ましい。

技巧表現

「単なる説明的文章」を脱するには、文章に技巧表現を織り交ぜると良いことがわかってきた。

技巧表現とは、適切な修飾語を使ったり、心情を描写して読み手に情景を想像してもらうような書き方だ。

文章における”ワザ”とは、登場人物の心情に共感し、あたかも自分がその人であるような錯覚を感じてもらうこと、つまり感情移入してもらえる書き方をすることだと僕はとらえている。

しかしこの技巧表現も加減が難しい。

とりあえず文学的な表現を詰め込めば良いというものでもない。テンポが悪くなる。

またあまりにも難解な熟語を使うと読者が理解できないし、ハナについてイラつく。

過剰な修飾語も、読んでいて胸焼けがしてしまう。

やっぱり加減が難しい。

かといってそのような技巧なくしては、先述の「説明的文章」にどんどん近づいていく。

白熱教室シリーズは単なるノウハウ音声教材ではなく、精神の移植を目的として作られている。精神の移植とは、サウザーさんやゲストの持っているスピリットを自分のものにしてもらうこと。

超人揃いのゲストたちゆえに、そのスピリットはトガっている。その全てを取り入れることは無理かもしれない。しかし、そのエッセンスだけでもリスナーに身に付けてほしいという願いで作られているのが白熱教室。

単なる学術的・ノウハウ的な要素だけでなく、パッション的・精神的な要素も孕むのが白熱教室だと思う。その要素の存在をほのめかすためにも、紹介文は多少のパッション性を帯びさせたい。それには文章の技巧が有効だと思う。

かといって、技巧を詰め込みすぎては「紹介文」として腰砕けになり、本来の機能を為さなくなる。説明的文章を主体としつつ、適切に文芸の技巧を融合させるのがベストだと僕は思う。2020年5月の今は、そのバランスに取り組んでいる。

野良の限界

元々、僕の紹介文は説明的文章のみでできていた。

もちろん必要最低限の性能はあった。ただ「説明に偏っているなぁ」と今読み返すと思う。

何本か完成させていくうちに、とある思いが浮かんできた。

「これでは普通だな」と。

いや何を言うてんねん、キミに期待されているのはその機能やで?とも思った。

とはいえこのまま機械的に、要約の説明的文章を量産して、意味があるんだろうか、付加価値はあるんだろうかと思い始めていた。

ありがたくも聖帝からは「紹介文を代行してもらえると、次回作に専念できるから助かる」と言ってもらえた。素直に嬉しかった。しかしこのままの路線だけでは、自分にも芸がないな、進化がないなという気持ちもあった。

タイムリーに聖帝に会う機会があり、文章について相談したところ「野良のままでは限界がある。プロの文章を学んでみろ」との教えを授かった。そこでオススメの作家さんを教わり、早速読んでみたところ…その文章の中には絶妙なバランスで「技巧」がちりばめられていた。日本語にはこんな力があるのか、と驚いた。それまで文章の「技巧」に着目したことはなかったから、まさに目から鱗だった。

文章の勉強が始まった。31歳だった。

僕はそれまで学術本とか新書とか、自己啓発本とかノウハウ・ハウツー本ばかり読んでいたから、この手の技巧には無頓着だった。しかし、この文章的技巧があることによって、文章は人を引き込むことができるのだと、自分の心でもって体験した。

読ませる文章とはこういうものなのかと。

そこから、僕はプロの書く文章から何か技巧を盗めないか、という視点で文章を読むようになった。小説はもとより、些細な広告のキャッチコピーにも、人の心に訴えかける文章はある。

今僕が書いている紹介文が、どれほどの人の心を動かせているかはわからない。また心を動かすだけではなく、学びにもなれば…と願って書いている。

もちろん本編を聴くことが最大の学びであることは間違いない。しかしオーディオブックという形態から、内容は買って聴くまでわからない。特に最初はそこが不安だ。

だからまず無料で読める紹介文がポイントになると思う。オーディオへの興味のキッカケになれば幸いだ。

マニアおすすめ白熱教室の摂取法

白熱教室マニアとしてのオススメは、本編を通して聴いてから、再び紹介文を読むこと。

これは僕の書いたものだけではなく、聖帝直筆のものも含まれる。白熱教室を存分に学び味わうのなら、まず紹介文を読んで「そういう話なのか」という”アタリ”をつけてほしい。

それで興味があれば買う。そのアタリがつくように僕も書いている。

この順序なら、紹介文の内容からアタリをつけつつ聴くことができるので理解が早い。趣旨や学びポイントが事前にわかるからだ。

そして本編を2〜3周、通しで聴いて内容を大体覚えたら、もう一度紹介文を読んでみて欲しい。そうしたら「あのシーンはこういうことなのか」と理解が進んで、重要なエッセンスが十分に摂取できると思う。

もちろん人間は忘れるから、聖帝の推奨の通り、時間をあけてまた聴くことをオススメする。その時々の自分の状況が変わったり、知識経験が増えていると、白熱教室はまた違う顔を見せてくれる。

僕は29歳のときでは感じ取れなかったことが、31歳なら感じ取れたりした。意味がわかったりする。

以上、白熱教室紹介文に関しての日記だった。このように文章表現について研究するきっかけをくださり、作品の一部にご採用いただいた聖帝にあらためて感謝を。

また、サウザー師匠と出会って(ネット上で)そろそろ丸2年くらいになるので、その道中で自分が変わったこと、感じたことを書き残しておこうと思う。

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