聖帝まみれの2年間(前編)

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雇われ人卒業

僕が聖帝サウザー師匠に出会ったのは、2018年の6月ごろだった。

サウザーラジオと白熱教室(あだち先生の)に出会い、ブログを始めたのは2018年6月16日のことだった。それから早いもので丸2年が経過した。そんな節目に際して、この2年間を振り返ってみようと思う。

ホワイト営業で有り余る時間

聖帝と出会う2年前(2016年ごろ)、僕は人生にマッタリとした閉塞感を感じていた。

その時は既にブラック企業から現職のゆるふわ化学メーカーに転職して数年が経過しており、仕事にも慣れてきていた頃だった。

年収も500万円くらいで、働き方はゆるふわ。ちょうどその頃、結婚もした。

周りを見渡せば定年まで勤めるゆるふわオジサンだらけで、自分もこんな感じにゆるふわで定年までいくんだろうなぁ、と容易に想像することができた。

化学メーカーは商材が強い。代替が難しいし、毎月勝手に売れる性質を持つ。

だから、ゆるふわでいられるのだと理解して―――そのころはひたすらにそれを悪用してサボり散らかしていた。

正確には「サボる」というよりかは「やることがないから仕方なく時間を潰している」みたいな感じだったと当時を振り返る。

モンハン4Gをやりまくったり、スーパー銭湯に行きまくったり、パチンコ行ったり、ゴルフの練習行ったり、漫画喫茶に籠ったり、有名店のランチを食べ歩いたり…

そんなふうにして暇を潰していたのだが、さすがに1年くらいで飽きてきた。

この膨大にある時間を有用に使えないか?ということで副業でお小遣い稼ぎができないかと考え始めた。それが2016年の夏だったと記憶している。そのとき27歳くらいだった。

お小遣い稼ぎを検討

当時の僕は、インターネットといえばmixiとFacebookと食べログくらいしか活用していなかった。情報源は専ら紙の本や、雑誌だった。

「副業」といえば、そう『SPA!』だ。何かとサラリーマン副業を推進するこの雑誌を愛読して副業の世界に触れていったことを憶えている。その頃はせどり・転売が流行り始めていた頃で、僕もチャレンジしようと思った。

またタイムリーにアマゾン転売ビジネスの本をブックオフで発見し、それを勉強していったのがその年の秋から冬だったと思う。そしていくつかせどりや転売を成功させ、何千円かの利益をゲットできたのだが、感想としては「これは本質がバイトと同じだなぁ」であった。なぜなら

  • 仕入れ作業
  • ネット上への陳列
  • 梱包
  • コンビニへ行って発送する

これらの「実作業」の負担がとても大きかったからだ。確かに、”雇われる”という形態ではないものの、全て自分でやらなくてはいけない分、自分が動かなければお金が発生しないビジネスだった。

もちろん、どんなビジネスでも商売でも時間と労力は使うのだが…とにかく帰宅してから梱包してコンビニに発送に行くその手間が僕にはバカバカしく思えてしまった。自分がペダルを漕ぎ続けないといけないスタイルを、僕はバイトだと思った。むしろ、バイトの種類によっては自分が積極的に動かずとも成立するものがあることを考えたら、それに劣る、まであった。

あとは、胴元(アマゾンとかフリマアプリとか)に払う手数料や、宅配業者に払う運送費、そして梱包材の費用なども考えると、ますますバカバカしくなってきた。

確かに、会社員としての収入のほかに、お金を得ることはできた。

しかしこれはまさに「小遣い稼ぎ」だった。この頃は不動産などという概念もなかったので、このようなバイト的な稼ぎ方を追っかけていた。

革靴をリサイクルショップで買って、直して売る方法をやろうとしたり、サビたゴルフクラブを研磨して再生して売ろうと試みたり…

結局、それらは圧倒的に安く仕入れができないと成り立たない、という壁に打ち当たり頓挫した。

ゆるふわ雇われ人でもやめたくなる

ちょうどその頃、僕はホワイトゆるふわな化学メーカーを辞めたいと思った出来事があった。

「上長がよく事情を知りもしないのに自分の仕事に文句を言ってきて、それを徹底的に論破したら逆ギレされた」という事件だ。

当時の僕はまだ人身掌握というか、対人関係を丸く収める技術がなくて、徹底的に上長のオッサンを論破してしまったのだ。

理路整然と論破してしまったので、相手はぐうの音も出ず、論理的な反論ができない状況になって、結果、感情的になって「オマエは生意気だ、かわいくない」みたいなことを怒鳴られて部屋から追い出されたのだった。

今思えば、僕の言い方が生意気だったな…と反省する。もっと相手の立場を考慮した物言いができたはずだった。『人を動かす』を読んでいればよかった。

しかし、当時の僕は「なんで正論を述べているオレがこんな言われ方しなきゃならねーんだ!?」とブチギレて、ドトールで怒涛の怒り心頭の日記を書き残していた。そこには特に大きな文字で

「バカの下で働きたくない」と書かれていた。

今思えば、あの時の出来事は結構ターニングポイントだったと思う。いくら仕事で成果を出そうが、力があろうが、組織で働くってそういうことなのだ。権力者である上長には逆らえないし、その組織の秩序も守らなくてはならない。

ゆるふわホワイトの化学メーカーは、まさに「和を以て尊しとなす」を体現する環境であった。もちろん、新規開拓したり成果を出すことは大切なことではある。しかし、それよりもまずは「和」が重視される。しかもその「和」っていうのは要するに、オッサンを気分良くさせろっていうことなので、くっだらねえなぁ、と思うようになった。

ゆるふわホワイトの現職に所属していれば、きっと金銭的・時間的には問題ないであろう。しかし、精神的には、自分としてはストレスがあるなぁと、当時は思っていた(今は飼い慣らす方向へシフトして、大きく改善できた)。

なぜこういう境遇に陥っているのかな、と考えると―――収入を会社に依存しているからだとわかった。まさに「雇われ人」の言葉の通り、雇われの身分だから、解雇が怖いのだ。会社に頼らない方法で、収入源を作りたい。そう思い始めた僕は、それまでの「お小遣い稼ぎ」から「収入源を作る」へ考え方をステップアップさせた。

「雇われ人」脱出の研究

雇われ人の身分から脱するにはどうすれば良いのか、と思った僕は本屋に通って、サラリーマン以外の稼ぎ方を本格的に模索していた。

『25歳からのひとりコングロマリットという働き方 ~仕事も肩書きもひとつじゃなくていい』

『ノマドライフ』

パッと思い出せるのはこの2冊だが、他にもたくさん読んだ。それらの本にはとにかく「本業以外に収入源を持て、分散しろ」ということが書かれていた。他に収入の柱を作れたら、雇われ人の収入にしがみつかなくても良くなる。

そんな勉強が進んでいたときに『人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点』をニュースアプリから知って、すぐにKindleで読んだ。この本はマルクスの資本論と、金持ち父さん貧乏父さんをベースとした本だった。

この本によって、給料とは労働力再生産の経費である、ということを知った。眼から鱗だった。ただこの本は、

  • 仕事に熟練して提供する労力時間を最小限に抑えよう
  • 熟練すべき仕事は、歴史が長くて変化が少ないものがいいよ

この2つで結論となっていた。これでは雇われ人の身分から脱することはできないじゃないかよ〜とモヤモヤしていたのが、2018年の5月だった(購入履歴が残ってた)。

イケててハヤい先生からの

そんな折、副業のひとつとして検討していた「ブログ」の分野にて追いかけていた、イケててハヤい先生がとあるツイートをしていた。

こうして僕はサウザー師匠と出会った。2018年6月6日のことであった。

つづく→中編

コメント

  1. jam より:

    ヤコバシ先生

    面白いです!後編楽しみにしています!
    白熱教室の紹介文もいつも楽しく読ませて貰ってます。

    • ヤコバシ ヤコバシ より:

      ありがとうございます!楽しんでもらえているとのことで、うれしく思います。励みになります!
      次回作にご期待ください!