クラウドソーシング体験談

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日記
副業として代表的なものにクラウドソーシングがある。僕はもはややっていないのだが、最近メールが来て、端数のポイントが失効しましたとの連絡があったので思い出した。その時感じたことについて書こうと思う。結論から言うと、積み上げがないなと感じてやめたのだった。

割の悪いアルバイト

僕はまずライティングの仕事をやってみた。転職エージェントを使ってどうだったか、とか塾講師のアルバイトについての経験談だった。これが意外とゴツい。質問に対し、300文字以上などの制限があるし、内容も精査されるとのことでテキトーなことも書けない。かなり頭を使った感があった。
今でこそ、僕はこのブログで文章を書く事に慣れてきたが、当時はかなり大変だった。身バレを防いだり忖度もしながら書くから、ますます大変だった記憶がある。1つの案件に30分くらいかかっただろうか。それに対しての報酬は400円くらいだった。
あと何かの商品のレビューもあったな。これはサクッと書けるけど50円とかだったと思う。とにかく安い!まぁ、実績がない駆け出しのランサーでは程度の低い案件しか見つからないのだから当然と言えば当然で致し方ないのだが…。
「在宅でお金を稼げる」というのに嘘はないが、特殊技能がない人にとってはただのアルバイト以下の時給だった。後に気付いた事だが、こういうクラウドソーシングで買い取った記事をブログにしている人もいて、ブログの世界でもこういうことって普通に起こるんだなと認識した瞬間でもあった。

雇われと同じ

僕はクラウドソーシングは、その性質から、自分の蓄積にはならないと感じた。もちろん、ランクが上がれば割のよい案件にアクセスできるようになるのだろうが、自分自身の資産にはならない。僕が運営しているこのブログは、一応、自分の資産といえる存在だけれども、クラウドソーシングでは成果物を売ってしまうのだから自分のものにならない。これは、僕が限界を感じているサラリーマン営業職と全く同じだ。他人のふんどしで相撲を取っている状況である限り、本質的に雇われ人からは脱せていない。雇用主・クライアントが変わっただけだ。
もちろん、案件を納品していく事で信用や実績が蓄積して、良い案件が振られるようになるというのを積み上げと解釈する事もできるだろう。しかし本質的には、自分の器に溜め込んでいない。時間を切り売りしているだけだ。自分自身のプラットフォームや商品に、自分の時間と労働力を投入しなければ、資産は増えない。これはアルバイトと同じだ。ハンバーガーをすばやく作れるようになっても、その成果はお店に吸われる。自分が出した価値の一部しか、還元されない。胴元が必ず儲かる仕組みになっているのだ。それは資本主義経済において、当たり前のことなので、文句を言っても仕方ない。自然には逆らわずに適応するのが生物の基本だ。

過当競争

また最近耳にしたのだが、以前は動画の編集など個人で請け負えていたらしいのだが、事業化している人がクラウドソーシングで仕事を受注し始めた事によってサービスや技術の水準が上がってしまったらしい。クオリティで追いつかない人は値下げで対応するしかない。クラウドソーシングという労働力のフリーマーケットにも資本主義の競争原理が働くのも、自然の摂理だと言えよう。
やはりこれもプロダクトサイクル理論の通り、黎明期があり最盛期を迎え成熟期、衰退期に入っているのだろう。別に市場が消滅するわけではないだろうが、「オイシイ副業」だった時代はもう終わっていると感じた。素人がクラウドソーシングで稼ぐには、もう旬をすぎてしまったのではないだろうか。

溜め込む器を選ぶ

僕はこのクラウドソーシングの経験を通じてやはり、自分の時間や労働力を注ぎ込むに適した「器」にそれらを投入していかなくてはならないという思いを強くした
クラウドソーシングも、サラリーマンも、例えるならば穴の開いたバケツに自分の時間と労力を投入している。その穴から漏れでたものを、企業や依頼主が吸っている。
そうではなく、自分のバケツに、自分の時間と労力を投入していこう。もちろん穴は空いていない。それが今の僕にとってはこのブログと不動産投資への勉強だ。

備考 語源について

僕はクラウドソーシングとはcloud sourcingだと思っていた。クラウドのように労働力がシェアされるというイメージでいた。しかし正しくはcrowd sourcingで、crouwdとは「群衆」という意味であり、sourcingは業務委託と言う意味だった。
群衆に…業務委託…?
なんか良いイメージがしてこないのは僕だけであろうか。

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