心躍る瞬間を見逃すな

※当サイトではアフィリエイト広告を利用して商品を紹介しています
ライフハック

僕は自分の「楽しさ」を追い求めるのが人生にとって幸せな時間を増やせると思っている(参考記事:英雄王から学ぶ、生き方)。その中で、自分が無意識に費やしている時間やお金に着目することを推奨した。その「楽しさ」にも2種類がある。今回はそれについてご説明したい。

主体的な楽しさ

最初の楽しさは、主体的な楽しさだ。これは、自分が行動することによって楽しいと感じることを指す。例えば、自分が描いた漫画を人に読んでもらって楽しんでもらう、とか料理を作って美味しいと思う事などだ。自分の手を動かした結果、楽しいと思うことを指す。

こうして僕がブログを書くのもこれにあたる。ゴルフをすることもこれにあたる。自分の技術が上達したり、知識が増えることを実感できる系の楽しさだ。

享受する楽しさ

2つ目は享受する楽しさだ。これは映画を観たり、漫画を読んでワクワクすることなどが該当する。美味しい料理を食べる、好きな音楽を聴く、温泉に入る。これらは主に五感を満足させる系の楽しさだ。言い換えると、ご褒美的な性質を持っている。

楽しさは複合し強力になる

こうして主体と享受という、2種類の「楽しさ」があると説明したわけだが、どちらが優れているとか、好ましいということはない。大抵の場合、この2つは複合していることが多い。

例えば釣りが好きな人は、釣るという技術や知識を必要とする主体的な楽しさと、釣った魚を食べるという享受的な楽しさが複合している。

映画を観ることも、作品を視聴する享受的な面がある一方で、俳優を覚えたり、脚本やカメラワークへの知識を深めてより一層楽しむという主体的な楽しさもある。

美味しい料理を食べることも、食べて美味しい享受の楽しさと、食材や調理法に関する知識の充実が主体的な楽しさも内包している。

漫画を描くことも、自分の技術の進歩を実感して楽しみながら、見てくれる人の反応に喜ぶという享受の楽しさがあって、意欲は加速する。

動物としての感性

このように主体・享受の複合は、動物として正しい感性だ。楽しいから努力できるし続く。どちらかが欠けた場合、続かなくなってしまう。例えば、漫画を描くことが楽しくても、読者がおらず、評価されない状態ならば長続きすることは難しい。

享受する楽しさは、五感やお金やPVだけではなく精神的な報酬もある。人間という社会性の動物には承認欲求があるから、それも立派な報酬になる。他人から褒められたり、喜んでもらうことがこれに当たる。

心躍る瞬間を見逃すな

なぜ今回、僕がこのような記事を書くに至ったかというと、ネットには金稼ぎを意図する人たちが増えて、その人たちが苦しんでいるように見えるからだ。この人たちは専業になってしまったから、生活費を稼ぐ手段として頑張っているのだが、そこには楽しさを追求する余裕がないように感じる。それはそうだ。稼業なのだから。

しかし僕は、ことインターネット空間に関しては、そのような金稼ぎの思想では到達できない領域があると感じている。よく耳にする言葉だが「好きなことで生きていく」の正体がこれだ。そして「努力は夢中に勝てない」も同義だ。自分が好きだから、ついつい夢中になってしまうからこそ、技術は上達する。それを享受する人たちが喜び、フィードバックをする。それが精神的報酬になり、より良い成果物、アウトプットができて、さらに楽しさが加速していく。その中で、お金をもらっても良いようなクオリティのものが生まれ、課金が始まっていくというのが自然なのではないだろうか。

この「好き」「夢中」を生み出すきっかけは、今回紹介した「主体」「享受」の楽しさから始まる。僕らは日々の生活の中で、自分の心が踊る瞬間を見逃さないようにしたい。自分が心躍る瞬間には、自分が夢中になれるタネが存在しているはずだ。そこを拾い上げて、育てると、自分の「楽しさ」が見つかると僕は思う。

この自分自身の「楽しさ」のタネを見つけ出せたら、それを自覚することができる。自覚することができたら、あとは意識せずともアンテナを高く伸ばせる。アンテナが高ければ情報がたくさん入ってきて、それが一定を超えたらアウトプットが始まる。主体的に手を動かし始める。ここから好きなことが始まり、夢中になっていく。

これをスタートとして、長い延長線上に成果物ができる。さらにその長い先に、課金したいというファンが結果的に発生するのだと僕は思う。だからマネタイズありきで始める人たちが苦戦するのは当たり前だし、成果も出ないだろう。自然の法則に逆らっているからだ。

ネットは原初の姿へ

元来ネット空間というのは利害関係のない人たちが国や物理的距離を超越して交流する場だった。90年〜00年代はそんな雰囲気だったように思う。そこには「楽しい」が重視されていた。金儲けもなかった。それが徐々に歪んで、スマホが普及してから金儲けに傾いて、人々がうんざりした結果、自然の自浄作用により淘汰が始まったのが2019年だと僕は感じる。

ネットは元の姿に戻ろうとしている。Googleの力ではない。ネットに集う人たち、ひとりひとりの自然な感性と行動が、あるべき姿に収斂している。ネットも人間の営みだから、自然現象には逆らえない。だからこそ「これってヒトとして良いことなのか?」という高いモラルが必要になってきたのではないだろうか。

コメント