日記記事。
今年に入ってから僕は、内勤の部署の改革を命じられた。
コロナ禍で外部との接触を控えているから、この機会を内部改革に有効活用しようとのことで指令を受けた。
僕は社会人になってから約10年、ずっと営業職畑で生きてきた。
オフィスに1日中いるなんて、前職の退職するラスト1週間で引き継ぎ書類作ったり、退職に関わる手続きのためにやったくらいで、ほとんどなかった。
お外に出れば遊び放題の営業職だが、いざこうして内部の仕事に目を向けると、内部は内部で問題を数多く抱えていたんだなぁと実感した。
その中で、内勤の人々の生態について、気になる部分があったので書き留めておく。
「没有子」の精神
『蒼穹の昴』という小説がある。
浅田次郎先生の名著だ。
舞台は清国時代の中国。
主人公の李春雲は貧しい農村の中でもさらに貧しい階層にいた。
春雲は春児という愛称で呼ばれていた。
その春児の母は苦しい生活を「没 有 子」と嘆く。
この意味は「どうしようもない」である。
アンコントローラブル、操作不能。
貧しいこと、苦しいこと、飢えることは「どうしようもない」こと。
悩んでも仕方がない、どうすることもできないのだからーー
という考え方だった。
そしてその風潮は、母だけでなく村中の貧しい者たち全員に当てはまり、皆「没有子、没有子」と言って、毎日をなんとか生き凌いでいた。
主人公の春児は、このような考え方に染まるのが嫌だった。
そんな中、占い師からお告げを授かり、そのお告げだけを頼りに、故郷を飛び出す。
都に行けば運命が変わると信じてーー
…というのが『蒼穹の昴』の冒頭なのだが、ここで大事な単語は「没有子」だと僕は思う。
ちなみにこの「没有子」は終盤にも登場し、このように考える人がいなくなるような政治をしよう、という内容だった。
なぜ必要なのか?わからず作業
さてこの「没有子」という単語。
蒼穹の昴を読んだのはもう2年ほど前なのに、このたび内勤の改革をしていて、突如思い出した。
僕は内勤の業務改革担当として、事務作業の内情を事務の女性に聞きながら調べ始めたのだが…
これが先述の「没有子」で溢れていたのだった。
「この作業は、何でやる必要があるかはわからないです。
でも“やれ”って言われてるからやってます」
「昔からそうだったみたいです。理由までは知りません」
こういった回答が相次いだ。
諸々の事務処理の工程を精査していく中で
「えっ?この欄に毎回、手で入力するの?デフォルト設定にできないの?
めんどくさくない?
むしろ“お決まり”ならもはや入れなくてもよくない?
なるべく省略・自動化できないか?」
という項目がたくさん出てきた。
それを僕は率直に
「なんでなん?要る?」
と聞いてみるのだが、
「理由は知らないけど、素早く毎回やればいいだけでしょ?
何言ってんの?」
という顔をしていた。
確かにそりゃあ…毎回やればいいことだとは思う。
しかし、その何百何千何万という繰り返しの中で、ミスが起こる可能性はあるし、時間も掛かっている。
またそれをチェックして、ミスっていたら直すという作業自体も数秒なのかもしれないけど積み重ねていくと効率は落ちる。
必須の工程なら致し方ないが、これは必須ではないだろという工程が数多く存在した。
そしてロスは時間だけではない。
「チェックしなきゃ」という気持ちがストレスになって、気力を消耗する。
なんだか知能テストを数時間単位でやらされているような感覚に陥る。
もしくはテトリスとかを集中して何時間もやった後、みたいな疲労感がある。
それは気力の消耗だと気が付いた。
そんなことを朝からやっているから、あなた達は夕方5時には疲れ果てちゃうのよ…
デスクワークなのに…
叩かれて叩かれて
気力を無駄遣いする行為はなるべく排除した方がいい。
しかしながら、彼女たちの背景を慮ると
「なんでやらないの?」
とはなかなか言いにくい、ということがわかってきた。
この人達は、わかってなくてやっていないんじゃない。
わかっているけど、やらされているのだ。
きっと彼らも若かりし頃は
「これこうすれば省略できませんか?」
と当時の上司に言ったのかもしれない。
しかしそれを却下されたり無視されたり、怒られたりして、萎縮してーー
「黙って言うこと聞いた方が結局ラクだな」
という思考回路になってしまったんだと思う。
先述の「没有子」は十年単位の時間をかけて醸成されたのだろう。
「どうしようもない」
「とりあえず受け入れる」
こう思うように調教されてしまったのだ。
本当にかわいそうなことだと思う。
しかしこれは、決して他人事ではない。
深き闇
僕は前職から合わせて10年近く、ずっと営業職をやってきた。
内勤の事務作業の内情については全然知らなかった。
今回このような役割を担って、この内勤の事務の仕事を調べていくうちに深い闇を感じた。
なんというか、淀んでじっとりとしたタイプの闇である。
おそらく昔のどこかで誰かが、変な風習作ってしまったばっかりに、それが定着してしまったのだろう。
そして今なお不必要な工程が継承され続けている。
必要ないのに…
そういう細かい積み重ねが気力を失わせて、疲れさせてしまうのだ。
改革はエネルギー使う
そして内勤事務が高度に属人化しすぎているため、新人にうまく教えられないということもわかった。
もはや彼女たちは一般事務職ではない。
一種の「職人」なのだ。
そのため、仮にベテランが病気とか産休に入ると一気に現場が崩壊する。
よくもまぁ今までやってこれたな…と思うが、それは内勤事務のお姉さんたちの犠牲の上に成り立っていた。
それを思い知った。
そりゃ有給休暇も取れないよね…
時間はかかるかもしれないが、不幸の連鎖を断つべく取り組んでいこうと思う。
正直、当初はこんな内勤部署の立て直しなどやりたくなかった。
僕、営業マンですよ?と思っていた。
しかし、前向きに捉えるならこれは未経験分野を体験するチャンスでもある。
『20歳の時に知っておきたかったこと(ティナ・シーリグ著)』の中にもあったが、キャリアは一本道ではなく、ときには横道に思われていたものがメインの道になったりするのだと。
少なくとも、このような内勤の実態や、そこに住まう人々の生態や考え方を知れたことは大きい。
彼らが何に悩み、何に怒り、何を我慢しているのかを知れた。
彼らは決して無能なのではなく、かなり高いレベルの兵隊適正を持っていた。
命令には絶対服従、文句は言わない、逆らわない、そしてーー
辞めない。
これはかなり高レベルの兵隊指数だ。
自分自身がこうならないように、そして後輩や部下にはこうなってほしくないなと思う、良い経験だった。
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